2010年10月 9日 (土)

男は選ぶものでなく、自分好みに作るのだ。

日本航空の現役スッチーが麻薬で捕まったって・・http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101008-00000052-mai-soci

この捕まったCA、100%独身であろう。先のブログの「もてない女」なのだ。

この女性もシンデレラ症候群に侵されてしまったのだろう・・・・女性紙なんて、新聞やテレビと同じプロパガンダである。

それにしても、寂しかったのか、なんなのか?まあ、変な男に捕まってしまったのが運のつきである。女は確実に男で幸せにも不幸にもなるのものだ。それは逆もまたしかりである。

もう、このスッチーさん、娑婆に出てきたら、風俗しかカネを稼ぐことはできないであろう。転落人生である。一度、麻薬でセックスをやったなら、もうそこから逃げ出せない。

どこかでタイミングを間違ったのであろう。若いときにはまわりからちやほやされて、「いい男」を選んでいるうちに、タイミングを逃したのだと思う。だいたいが、「いい男」なんて、他の女性にもたいそうもてるのだ。そんな男は遊び人が多く、家庭的な男などまずいない。尊敬できるようないい男、、、そんなのは幻想である。自分を勘違いしたのであろう。若いうちに適当な男をつかんでいればこのような不幸には陥らないですんだであろう。しかし時間は誰にも取り戻せないのである。

ある美人な友人が結婚前、「結婚は妥協だ」といっていた。さすがである。正解だ。男などコントロールできればいいのだ。家庭は女のものなのだ。

よーく、よーく観察してみなさい。男に主導権を握らせて上手くいったのだろうか?違うでしょ?シンデレラってのは幻想です。実は男主導では上手くはなかなかいかないのですよ。

「男は手段。女は結果」

子供を育てるのは実際のところ女性なのだ。

女の子ならば、世の男性にすっごいもてる娘に育て上げる。男の子ならば、世の女性にすごくもてて、それで自分の永遠の恋人。そんな子供を育て上げるのも女性なのである。

そのぐらい、男と女は違うのだ。

いやー おもしろい。

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2010年10月 4日 (月)

もてない女

本日、友人の仕事が最終検査であった。その検査が無事、終了したのもつかの間、友人曰く、「魔女」タイプから、検査終了後に、あーでもない、こーでもないと、いろいろ事後に要望が来る。その「魔女」とやら、外見は美人である。10年前ならば、それこそ、かなり美形でやり手!ってな具合だろう。今現在、予想では、年のころはたぶん、41~42歳くらいか。利発そうで、頭がよく切れる。理論的には、いい女だろう。でも今でも独身。独身が悪いわけではないのは当たり前であるが、それでもたぶん、本人の理想の人生設計とは違う人生になっては、いないのであろうか?それは何で???美形で頭も良くて、職業も、皆がうらやましがるような仕事である。でも、実は「男にはもてない」のである。

こういう女はよく、いい男がいないという。そりゃそうである。「いい男」はあなたには寄っていかない。はっきり言おう。あんたは、まったくもって「いい女」ではない。だから「いい男」は寄ってくるはずがないのだ。あんたに寄っていく男は悪い男とか、あんたの理想以外の男なのだ。あんたに似たような男しか寄ってこない。それをえり好みしようとしても、あんたがそんな女だから、それ相応の男しか寄ってこないのである。たまに神の配剤で、「いい男」があなたに寄ってきても(それは、あまりにも何気ないから分かりづらい)それが分からないのだ。以前、黒マグロを一本釣りする女のお話をしたが、そいつらは、そのチャンスを絶対に逃さない。奴ら、本当に賢い女は、男を作るものだと知っている。そこが180度、観点が違うのだ。いい男はそんな女を逃さないし、放っておかない。当たり前である。

「いい男」ってのは、「いい女」が産んで育てるもんなんだ。だから、「いい男」は「いい女」をよく知っているんだな。男なんて、一生をかけて、自分の母親と出来るだけ近い「いい女」を探すのだよ。そのためにたくさんの苦労を重ねるのだ。

いくら外見が美人でも、もてるわけが無い。だって、そんなの、2~4年で、確実に特別でなくなるからね。人間は男も女も実務的、いや、本能的なのね。実際はね。だから経済力とか、生活を続けられるか?とかが一番重要なのだよね。それが実は遺伝子を後世に残す本能なのだよ。

女は男を知りえないし、男も女を知りえない。当たり前である。分かってしまうと、これだけ陳腐なこともない。

ただ、あまり賢くない頭で考えるから、駄目なのだよ。自分で知りえない、分かりえないことを他人が知りえるから、尊敬されるのだ。

そんなに賢い人間は世の中に存在しない。閑話休題。

実は世の中は素直なのだ。

もてないのも実はちゃんと理由がある。自分の周りの人も自分と似たような人が寄ってくるのだ。

もてないのも、いい男が寄ってこないのも、ちゃんと「理由」があるのだ。

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2010年9月24日 (金)

袋とじの誘惑

先日、雑誌を立ち読みしていたら、袋とじのページに反応してしまった・・・・買おうか?買うまいか?しばし悩む・・・・・・お値段は¥370-である。うーむ・・・・どうしても袋とじの中が見たい!・・・と買ってしまった。

1

この袋とじ商法、昔からある、非常に古典的なマーケティング手法である。見えないものを見たいという男の欲望を的確にヒットさせるものである。青少年には見せないように、なんて心遣いみたいなことを言っているが、これはズバリ、マーケティングの手法なのだ。はっきりとしたエロ本ではなく、このぐらいの大衆雑誌くらいが、値段も手ごろで、また買いやすいから一番効果的であろう。それで、その本を買って、その袋とじを鋏で開くと、だいたいが、たいしたことないっていうか、期待はずれなものだのだ。それでもついつい買ってしまう。それほどにこの袋とじというのは強い誘惑の力を持っているのである。

今回の袋とじは、男における女の黄金比率、女の最大公約数でもある、「OL制服に黒のストッキング」である。これ以上、男を倒すための戦闘服は他にはないであろう。

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パンツスーツは、キャリアウーマンっぽくてかっこはいいが、ただそれだけって感じで、あまり反応しないものである。かといってスカートでもストッキングがベージュであると反応はあまり大きくない。やはり黒系がいいだろう。商談などではこの姿はかなり効果的である。一度この姿に反応させてしまえば、商談の内容よりも、この姿のほうに関心が向くからである。

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男女ペアで商談に赴く場合は、女性はこのような姿が望ましい。商談相手の関心をすべて女性に振り向けさせ、それで商談をこちらの都合が良い方向へ向けていく。これも古典的な営業手法であり、これはいつまでも効果的なのである。

ただ、この手法にも難点がある。それは男女ペアの場合、そのペアの男性のほうが、女性に参ってしまい、女性に惚れてしまったり、恋仲になったりして、ペアがダメになってしまうことである。それだけ危険な手法でもあるから、かなり気をつける必要があるのだ。

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あー、怖い、怖い・・・

それにしてもこういう袋とじに反応してしまうのは、男の性である・・・・・

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2010年5月20日 (木)

浮気の方法

友人にへたくそな浮気をしているぼんくらがいるので、ここに上手い浮気の仕方を書いておく。

1、先ず、浮気というのは、どう隠したって、確実に女にはばれるものなのである。

2、浮気はたまに会う相手だから心地よいのである。また、秘密だから楽しいのである。

3、どうしたって男は女を求めて彷徨う生き物である。だから、殆どの男は浮気願望がある。

それを踏まえて、上手い?浮気の方法である。

1、周囲に浮気相手を絶対に紹介してはいけない。女は図太い生き物なのである。紹介されたって、女は堂々としているものなのだ。それに対して男は弱く、社会的な生き物なのである。浮気相手なんて基本的に長くても1~2年で自動的に別れるものなのだ。だから周囲には悟られずに本人同士でつかの間の幸せを堪能すべきなのである。また別れたときに周囲の眼が無いので社会に抗う必要もなくなる。きれいに別れることが可能なのだ。別れはいかにきれいに行うか。それが肝要なのである。そんな浮気する女はまた別の男と浮気を繰り返すものなのだ。その女のためにも、秘密にしてやるのが礼儀というものなのである。

2、お金という免罪符を毎回会う度に渡しておく。浮気で一番困難なのが別れ際である。いくら食事代やホテル代を男が使おうが、それはお金を渡したことにはならないのである。だから別れ際に今までの行為をただで行った逆襲に遇うのである。だから浮気相手には、毎回、お小遣いとか、タクシー代とかいって、現金を渡すのが肝要なのである。現金ではいと意味がない。これは大きな免罪符となるのだ。逆襲には遇わないのである。世の中所詮はお金なのである。別れる際、女が怒るは、今まで男にしてあげた行為に対する報酬を求めるということなのである。それを分割ですこしづつ払っておくのだ。自分を守るコツである。ただより高いものは無いのである。

3、他の女とやりたくなったら、迷わず風俗へ行く。風俗など安いものである。だいたい2~3万程度である。5万も出せばとびきりいい女とできる。5万で年間10回でたかだか50万である。いい女を落とそうとしたらば50万ぐらいでは落とせない。100万以上は当たり前で、またそれを維持するために巨額のコストが必要なのである。風俗など安い金額でとてもよくしてくれ、気を使う必要もないのである。とうぜん後腐れが無い。病気という心配もあるが、それが怖くて女など抱けないし、高い風俗ならばそこも安心なのだ。安心はお金で買えるのだ。

4、間違っても浮気相手を愛してるという幻想は抱かない。浮気相手というのは、なんだかんだ言っても、所詮、セックスだけの関係なのである。錯覚で好きと思ったりしてしまうが、それは間違いなく錯覚なのだ。浮気相手と再婚してしまう愚を犯してはならない。巷にもたまにこの愚を犯してしまう輩がいるが、いっこうに幸せになったのがいない。それで養育費やら慰謝料やらで元気を無くしていくのである。それで子どもにも会えなくなる。浮気相手の女とは、いままでその男に尽くしてあげたので、それを回収したいがために男に離婚を迫るのだ。それは実は愛情などではないのだ。浮気している男女はその浮気という行為が共通なので、同じ離婚という目的に走りやすい。それで離婚して再婚すると、前の生活よりも惨めなことがようやくわかるのである。しかしもう元には戻らない。結婚するくらいの相手というのは浮気相手よりもとうぜんいい女であるし(容姿とかではなく)自分にも合っているから結婚までした仲なのである。浮気相手が自分の女房よりも自分に合う確率など、それは宝くじに当たるよりも難しい。浮気など、相手の体と自分のその秘密の行為を愛しているだけなのだ。

5、その女と寝たら、もう「好きだ」とか「愛してる」などの言葉を絶対に発してはいけない。浮気相手には心のメンテナンスをしてはいけないのである。自分の言葉に酔って勘違いしてしまうし、女もそれで勘違いして泥沼に嵌るのだ。浮気が成立した瞬間に、どうやってきれいに別れようか?そう考えるのが上手い男の生き方なのである。楽しい思いをしたならば、その代償はかならず支払わないといけないのである。それを自分の人生で償うというのはかっこ悪い生き方である。

6、浮気は男の甲斐性とはいうが、それは単にそれだけのお金を稼げるってことなのだ。お金を稼ぐ甲斐性がないならば、迷わず風俗で心を満たしておくべきなのだ。間違っても自分の実力を勘違いしてはいけない。女は男よりも強く、したたかな生き物なのだ。どうやっても男は女にはかなわない。男はそれほど生命力は強くないのだ。

7、歳をとったら浮気なんてしないことだ。確実に寿命が縮む。まあ、自分がいつも浮気してしまうようなタイプならば結婚などしないことである。それならば浮気にならないからである。

まあ、世の中、男と女しかいないので、いろいろあるのが人生である。失敗もあるから楽しいのである。

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2010年1月30日 (土)

女も男も愛嬌が大切だ

今日、現場での打ち合わせがあったのだが、(デザインの仕事なんて、デザインはほんの10%もあるかないかで、殆どは打ち合わせ「くちプロレス。言葉のでの格闘」なのだ。それが現実である。)建設現場での打ち合わせ,ってのはむさい男ばかりの世界で嫌になるが、それでも人間観察の場という観点では実に最高に面白い。本当にたくさんのいろんな人がいて、それも立場がいろいろなのである。馬鹿もいれば、あんぽんたんもいる。賢いのもいれば、ずるいのもいる。本当にいろいろな人がいるのである。みんなそれぞれの理由で必死で頑張っている。自分のためだけのヤツ。家族のためのヤツ。会社のため?(結局自分のため)のヤツ。とにかく人間観察には面白いのである。

 

そんな状況では皆、いかに自分のことを守ろう、自分が優位に立とうと必死である。だからドラマが生まれるのだ。

 

でも、冷静に見ていると、そこを上手く泳ぐというか切り抜けて自分の思うようにもっていけるヤツは間違いなく、ある種の「才能」を持っている。また、それがないと駄目なのである。いくら賢い頭脳とやらを持っていてもまったく駄目なのである。努力してもお話にもならないのだ。いくら頭で考えても駄目。考える時点ですでにゲームオーバーなのだ。咄嗟の時、危険な状況・・・そんなときには考える余裕も時間もないからだ。でもそれを超越する例外というのは稀であるが現実に実在する。それを「才能」というのかもしれない。

 

友人「s」が、ある仕事がどうしても間に合わなかったときがあって、それで「s」がどうしたかというと・・・・・「s」はそのデザインパースを施主にどうしても見せなくてはいけなかった・・・・そのとき、「s」曰く・・・・・「いや、まだ発表できる段階ではなくて・・・でもここにお集まりの皆さんにはすこしでも御見せしなくてはならないから、もってはきましたが・・・」といいながら、「s」はそのデザインパースをすごいスピードで上下に振動させながら、よく見えないように・・でもなんとか出来ていて・・・・・これは普通の人が真似してもまったくもって駄目である。普通は怒りを買って、スグにクビである。しかし「s」は愛嬌という素晴しい才能があるのである。愛嬌という才能は不可能も可能にするのだ。これこそ黄金伝説である。こんなことを出来るデザイナーは世の中広しといえども「s」しかいないだろう。

 

今回の打ち合わせで、内装の設計者が上下階で違うのだが、方や理詰めでどんどん迫ってくる。それはそれで間違いではない。デサインは理詰め。それは間違いない。(だからそれを設計というし、それでお金を頂戴してるのだ。勘違いしてはいけない)その人達は優秀である。しかし、それは基本の基本でしかないのである。(理詰めのデザインが出来ないのはスタートラインにも立てないから論外。間違わないでね)もう片方の人達。理詰めをオブラートに包むような・・・・端的にいって愛嬌があるのだ。同じ仕事でもどちらが上手くできるかというと・・・それはスグに判るだろう。その愛嬌がある人達のじいさんとちょっとオデブちゃん。とても愛嬌がある。打ち合わせは勝負でもあるのだ。そこで愛嬌で切り抜ける。それは才能なのである。片側は理詰めであるが笑いが無い。愛嬌がない。技術だけでは上手くいかないのである。何度も言うが、努力だけで上手くはいかないのである。笑いがないと。人はロジックだけでは動かないのである。

 

友人「p」はそこを実に・・上手に・捌く・・怒りをみせたり・・譲渡してみせたり・・・さすがである 笑ってしまう。さすがである。その瞬間の勝負がすごい面白いのである。(大笑いしてるから、面白いから、なかなか帰れない。それを、その現場を見れない若者は不幸である。。。。立ち回りは下手糞だが、しかし、それをライブで見れるパクヲは幸か不幸が運が強い!!)愛嬌のある人達は言語が同じらしいので、賢いのは安心して見ている。それを見ていてまた笑える。ピンチのときにはそれに必要な人が集まるものである。不可思議であるが現実なのだ。またそれに伴うマイナスも伴うものなのだが・・・・・・。世の中は面白い人には大変に面白いのである。世の中は間違いなく超不公平なのだ。それは太古の昔から変わらない。生物はそのように出来ているのだ。たかだか人間の知能がそれを超えるなんてなかなかできないのである。(2000年くらい寿命があれば別であるが。でも、みんなそんなに生きられないし、長い歴史の中では個人の生きる意味とかっては無いんだから。自分のためだけに生きよう。寿命短いんだからさ。)

 

話はずれたが・・・

 

そこの管理しているスーパーゼネコンの頭いい人、その人もすごく愛嬌がある。厳しいこといってるのに、面白いし、どこか余裕がある。そういう人は時間をも操作できうるのだ。自分の担当の設備も担当の人もが愛嬌があるので、打ち合わせは楽しいし、楽である。特に打ち合わせの時間も必要ないぐらいなのである。プロだから、言葉は同じだし、方向も同じだから、あえて時間もそんな必要ではない。こちらが考えるまえにそのひとが全てを間違いなく終わらしているから。だからその立場だけでの愛嬌がある人はそれだけで才能がある。運があるのだ。だいあた仕事が出来ない人は愛嬌が不足している。女も男も愛嬌がとても大切なのである。

 

しかし・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

愛嬌があるというのは実は賢いってことの裏返しでもある。そういう人達は心に幅があるというか余裕があるから、実は、かなり冷静でもあるので、かなり気をつけて接しないといけないのである。内実はあまりかわいい人ではないのだ。だからその笑顔の裏の心を読まないとだめなのだ。そういう人の要求はさりげなく、こちらも笑って愛嬌で同じようにこなさなくてはいけないのである。それが人間関係のコツでもある。

 

頭のいい人ほどさりげない。しかし、裏では時間に厳しいし、内容にも厳しい。相手の出方、実力をよーく、よーく、見ている。

 

しかめっ面してても駄目なのだ。才能あって賢いヤツほど涼しい顔してるのだ。

 

女なんて端的そうである。男なんて判り易いが女はもっともっと高度なのである。「おんな」は普通でも愛嬌という才能を持っている。しかし、それでももっと愛嬌という才能をもっているのが存在するのだ。それはそれは最強で並みの男はかなわないのだ。

 

それを塩野さんという作家ではないが「ワル」という。(塩野さんは女性なので男をそう表現したが、実は女は基本的に「ワル」でそれより性能がよいのは「超ワル」。男はかわいいものである。男の「ワル」は天然記念物と称されるそうだ。(笑)

 

塩野七生 著

 

『男たちへ フツウの男をフツウでない男にするための54章』(1989年 文藝春秋、1993年 文春文庫)

 

『再び男たちへ フツウであることに満足できなくなった男のための63章』(1991年 文藝春秋、1994年 文春文庫)

 

 

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2010年1月24日 (日)

男にとっての女の三種の神器

男にとっての「女の三種の神器」はスカート+ストッキング+ハイヒールである。昔、フジフィルムのコマーシャルで、「綺麗な人はより綺麗に、そうで無い人もそれなりに」という有名なフレーズがあったが、まさにそのとおりに先の三種の神器を身に纏った女性は確実に1~2ランク、魅力がグレードアップする。これは女装という武器なのである。この格好で目の前に座られると、それほど美しくない人であったとしても、確実に気になってしまうのだ。それが男の悲しい性なのである。

前回のブログで、自分のことをよく知らない美人のことを書いたが、その女性達はこの「三種の神器」をまったく活用していない。だからその持っている才能をまったく生かしきれていないのである。実にもったいない話である。

営業職で、この神器を使ってない女性が、物が売れない・・・・なんていってるが、当たり前なのである。営業は演出が必要なのである。世の中はなんだかんだいったって男社会なのである。物なんて何処のメーカーもそれほど変わらない。デザインだってそれほど変わらない。なんたって買うほうが、その違いを知らないし、また判るはずがないのである。

基本的に物を買うということはイメージを買うのである。その機能や価値なんて二の次、三の次、いやそれ以下で、まったくどうでもいいのである。それよりもイメージが重要なのだ。先ずはその会社のイメージ。これが一番重要なのである。会社ってのは看板が重要なのである。それが購買意欲を動かす最大のポイントなのは間違いない。しかし、その次は個人のパーソナリティなのである。同じような会社で同じような商品だった場合は、確実にその営業の人のパーソナリティが勝敗を決するのである。

我々が属する建築業界の購買などはまさにそれなのである。どうせなら「三種の神器」を纏ったきれいなおねーちゃんから買いたくなるのが当たり前なのである。現場に営業に行くのなら、必ず三種の神器を身に纏うべきである。生命保険のおばちゃんを見習うべきなのである。下手に商品知識を身につけても、いくら努力しても「三種の神器」の力にはかなわないのである。実は世の中なんてそんなもんである。どんな商品も内容を吟味して買うようなことは無いのである。

同業のワルがそれを上手く活用している。この「三種の神器」を身に纏ったきれいなおねーちゃんは売るときには強力な武器になるし、もしトラブルがあったときには重要な盾になり守ってくれるのだ。そのワル達はその効用をよく知っているのである。男社会のほうが、結局は女の力のほうがより生かされるのである。

だから世の女性達は「三種の神器」を身に纏い「女装」すべきである。それがその女性の本質でなくていいのである。そんなことを知らないほど男も馬鹿ではない。しかし、四六時中、相対する訳ではない。その時くらいは夢を見させてほしいのである。「9割は外観で決まる」という本があったが、まさに世の中、そのとおりなのである。

世の中、努力だけでは変わらない。ちょっとしたことが大きな差になるのである。

是非ともお試しあれ。

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2010年1月23日 (土)

自分のことを知らない女性

自分が属している業界はデザイン系である。それも建築系である。だから服飾とかの煌びやかな世界とは程遠い、男っぽい世界である。しかし、それでも近頃は女性がかなり多くなってきている。しかし、根本的に男の世界なのは間違いない。そんな業界でも世の中は人口の分布が全てなのだから、当然、生命の法則の通りに、超美人、美人、やや美人、普通、やや劣り、劣り、不美人(世の女性から怒られそうだが。。。。ごめんなさい)という割合になっている。(2:6;2をもっと細かくしたらその通りになるのだ)だからけっこうべっぴんさんもいるのである。しかし、この男っぽい業界が悪いのか、その美人達が美人らしくしてないのがこの業界の特徴でもあり、駄目な部分でもある。だから商売も下手糞なのである。また、その女性たちには自覚がない。これが大問題なのだ。才能があるくせにそれを使わない、気づかないというのは罪である。自分はその業界のほんの一部分なのであるが、それでも美しい女性はたくさん存在している。しかし、それを有効に活用している女性はほんの数人である・・・・

その女性達には同じような特徴がある。

①スカートを身に着けない。

②努力でなんとかなると思っている。

③女友達(仕事?)が同じようなタイプ。

これに該当しているはずである。これらに該当している女性はいらぬ苦労をしているのだ。全てに当てはまる女性もいるだろうが、どれかに当てはまるとそれは自分をよく知らないことである。

①のスカートを身に着けない女性は、本当に困った存在である。ましてはかなりの美人でいい女なのにまったくスカート姿を見せないのである。本当に困ったことに、自分の周りにはそういう女性がすごい多いのである。そういう人に限って頑張って商品の説明を事細かくしたり、仕事に一生懸命なのである。こちら側の論理からすると、商品などは実はどれも殆ど違いなんて無いのである。世の中は商品だけで決まるのでは決して無いのである。実は個人のパーソナリティが重要なのである。人間が介在する以上、かならずそうなるのである。

ある友人はこの①~③が全て当てはまる。男勝りな口調であるが、容姿はとても綺麗なのだ。しかし、まったくスカートなど持っていないのではないか?と思えるような女性である。誰かいい人いない?なんていってるが、まともなかっこうをしたら男なんてそれこそまとわり付いてくるだろうに・・・・馬鹿なんだかなんなんだか・・・・

ある友人は①と②が当てはまるのだが、その人はとても素晴しい旦那さんがいるのでグッドだが、仕事ではその才能が生かしきれてない。美人だから現場では和気藹々なのはその容姿と品のある性格のおかげである。それを本人は実は知らない。それが実は問題なのも本人は実は気づいていない・・・たぶんこれからも判らない・・・・・・

ある友人はいつも心配性。美人で何ヶ国語もあやつる才女なのだが、いまの今までスカート姿を見たことがない。まあ、その人は外人との仕事が殆どだから問題ないのか・・・・

昔、ある友人に現場にはスカートで行きなさいと指導したら、「すこしは違うは」といっていた。しかし、その超美人+スカートは絶大な効果なのである。建築現場など男の世界である。美人+スカートだけで現場の男はメロメロなのである。だから賢いインテリアデザイナーの男はプレゼンに美人な女性を横に置くのである。才能なんてみんな無いのである。演出が重要なのだ。そいつは巷で有名みたいだが、実はデザインよりもその演出が巧みなのだ。そこが差なのだ。だからもう過去になった有名だったインテリアデザイナーが女優と結婚するのだ。宣伝なんだよねぇ・・・でもね・・・マスメディアはもっとずるいからね・・・・・

前に某事務所の舌足らずの美人なおねーちゃんが若いのに優秀だって書いたことがあったが、そのねーちゃん、美人+スカートである。現場の男は負けるのである。敗北なのである。上手く才能を使っている。最強なのである。それにはどんなに頑張ったって勝てないのである。

某同業の有名な事務所のおねーちゃん。美人なのだが、まったくもって②の努力を信じている・・・・・努力なんて実はそれほど効果的ではないのだ・・・・・そのおねーちゃんも当然スカート姿は見たことが無い。まったくもってもったいないと思うのだが・・・・海外の行くのはいいことであるが、大切なことを失っては駄目なのである・・・・以外と回りは悪が多いのだよ。それも善人面したのがね。それは無意識だから余計に罪が深いのだ。馬鹿に処方箋は無いのである・・・悲しいことに本人は正しいと自分を信じている・・・・・だから努力しても駄目なのだ・・・・・話はずれたが・・・・

自分が管理する事務所に来るメーカーのおねーちゃんも美人が多いのだが、この業界、ほんと駄目だと思うのだが、まったくもってスカートではない。美人が多いのに・・・1社だけベッキー瓜二つの美人がスカートで来る。最強である。そりゃスペックしてしまうだろうに~以外と世の中カンタンなのである。

スカートが全てではない。しかし、女ってことが才能なのである。世の中の男はほとんど女にはかなわないのである。スカートはそれを明確に示す絶対的なアイテムなのである。今の10代20代のおねーちゃんは圧倒的である。そのカラクリがよく判っている。だからそれに相対する男の子も有望である。日本の将来は明るい。

やっぱり根本的に駄目な思想が②の「努力でなんとかなると思っている」である。これが一番の問題なのだ。この人達は今まで努力だけでなんとかしてきたという自負があるのだ。でも実は世の中そんなに単純ではないのだよ。申し訳ないが、誠に残念ながら、努力は重要ではないのだ。世の中はタイミングなのである。そのタイミングに乗れるかどうかなのである。自分の思うとおりになんかどうやってもならないものである。運よくそうなったら逆に地獄の一歩手前なのである。あの勝間なんだかっていう女性がこの頃、外見が重要だみたいな本を出したが、笑ってしまう。本質はそうなのである。いまになって少しづつ修正なのである。全てを手に入れることは出来ないのである。我々は神様ではない(もしも神が実在するのなら??ってか)才能が無くたってもタイミングが合えばそれで喰えるのが世の中なのだ。しかし、それを自分の才能というのは間違っているというよりも勘違いというよりも・・・・世の中はタイミングを掴んだ者にはやさしい・・・・それが生命のサイクルなのである。適者生存なのである。

話は逸れた?が・・・

その②の論理の女性は写真の撮られるのをすごく嫌う。若くてぴちぴちしてた時代だけが一番だというのか?それは我々中年のおっさんと同じ思考回路である。あなた方が一番毛嫌いする「おっさん」の論理なのだ。若い、ほんの一瞬だけが人生ではないのだよ。どの時代もいつも「自分」なのである。ある女性は還暦なのにいまでもひざ上のスカートである。すごくかっこいい女性である。その人は死ぬまでかっこいいと思う。それが重要なのである。なんかの本で、「女は男を尊敬したいのである・・・」とかの台詞があったが、それを全て返す。「世の男は女を尊敬しているのですよ」伊太利亜男がかっこいいのは間違いではないのだ。

男は女のために頑張るのである。それも一瞬ね。それをいつまで続けさせるのかは女の度量である。古今東西、男は女にはかなわない。それだけは事実である。

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2009年11月17日 (火)

浮気は文化?

東尾氏の娘と婚約しただかでまた話題を振りまく石田なんとかっていうゴシップタレントが以前、「浮気は文化だ」なんて言葉を発してボロクソにけなされていたような記憶がある。それは半分当たっていて、半分間違っている。石田なんとかは本能だけで生きているようなやつだから言葉で上手く説明することができないからボロクソにいわれたのだ。

 

なぜ半分間違っているこというと、言葉が間違っているからである。浮気は文化ではなく本能が正解だからだ。

 

我々生物は生殖をすることで生命をつなぐ。だから強い種を残そうとするように体が出来ているのだ。そうやって進化してきたのだ。

 

男性のペニスをよくよく観察してほしい。何故あのような形状をしているのか知っているだろうか?先端があのような形状なのはちゃんと意味があるのだ。あれは他人の残した精子を排除し、自分の精子を変わりに植えつけるためなのだ。だからピストン運動をするのだよ。ちゃんと本能には意味があるのである。

 

女性がなかなか妊娠しないのは、弱い精子を死滅させる機能を持っているからなのだ。

 

我々の体というのはそのように元から浮気するように出来ているのである。だから心変わりでの別れや浮気などは自然なことなのだ。だから結婚生活も最初は良いが年を重ねていくほど辛くなる。当たりまえのことなのだ。我々人間の浅はかな知能は本能にはかなわないのである。

 

石田某もこのぐらいのことは知っていたか?テレビだからいえなかったのか?それは良く判らないが・・・・・

 

 

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2009年10月11日 (日)

不幸な女その3

自分の周りには黒マグロ、それも上級の黒マグロが多い。毛並みが良く高学歴で優秀、その上、特権階級の会社に勤めている。そんな極上の黒マグロたちだ。そんな極上黒マグロ達は他の群れとは交わらない。私はサバ(それも低級の)である。幸運にもひょんなことからその極上マグロの群れに忍び込むことができた。その黒マグロ達は泳ぎが速いのでサバがその群れに付いていくのは大変である。頑張って泳ぎ、サバだということがばれて黒マグロに喰われないように目立たないようにして、その群れのなかでしたたかに生きている。だから仲間はいない。一人ぼっちである。その群れの中で観察していると面白い。その黒マグロをいとも簡単に釣り上げる腕利きの幸せな女がいるということだ。その腕利き女達には不幸の影が無い。不幸な女は腕が悪いのか黒マグロを釣ることはできない。不幸な女は目標が曖昧で目線もふらふらしてるから黒マグロを捕捉できないのだ。だからダボハゼやウツボなどの雑魚を釣り上げてしまうのだ。

サバの世界には黒マグロはいない。うかつにも近づくと、喰われてしまうのでなかなか近寄れないのである。サバはサンマやイワシなど他の魚達と生きている。しかし、ちょっとしたことですぐに喰われてしまう。とても弱い存在である。だからサバやサンマ、イワシ達は自分達の同類で群れを作る。世界がまったく違うのである。黒マグロは黒マグロの群れを作る。そうして極上黒マグロの群れにはは極上黒マグロしかいないのである。建築現場にいくとそこにはサバやサンマ、イワシなどの自分の仲間達がたくさん泳いでいる。とても懐かしい感じがする。でもそこはサバイバルな場所なのだ。下手をすると喰われてしまう。黒マグロのエリアは安全で快適な場所なのだ。だから幸せな女はサバのエリアには釣り針を放り込まない。黒マグロしか狙わない。不幸な女はどこでも釣り針を放り込んでしまう。サバやサンマやイワシなどは毒にも薬にもならないから、気に入らなけりゃ喰ってしまえばいいのだが、まちがってウツボを釣り上げてしまったら大変である。処理をするのも一苦労。かならず怪我をしてしまう。

くらたまという「だめんずウォーカー」という漫画で一世を風靡した漫画家がいるが、その人過去にダボハゼ釣って失敗して、そんな顛末を漫画に描いたら当たったんだけど、今度はウツボを釣り上げてしまったようだ。本人はいまは幸せそうだが、やはり不幸は確実に襲ってくる。ウツボはウツボである。マグロにはなれない。一度不幸に愛されると駄目である・・・・・ダボハゼなら人畜無害であるからまだいいが、ウツボは駄目である。そんなウツボを釣り上げて不幸に落ちていく女をどれだけみたことだろうか・・・・・・

今回は不幸な女ネタでした。

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不幸な女その2

ヤフーのニュースで元モーニング娘の加護なんだかっていう勘違い不細工女がタクシーに携帯を忘れて、そのタクシー運転手がこのバカ女の携帯を海に捨てたとのことだ。もう完全な作り話であきれてものも言えない。マトモに考えたらこんなことなんてあるはずないではないか。話題提供のための完全な作り話である。このバカ女、こんな嘘八百を並べないともう生きていけないのだ。完全に不幸な女である。もう脱ぐことしかないのではないだろうか?

今の世の中、完全にサバイバルゲームである。ちょっと昔はトーナメントであったが、小泉の構造改革でサバイバルできないと生きていけない。そんな時代である。一度不幸の側に足を踏み外したら、もう這い上がれない。もがけばもがくほど底のほうへ引っ張られてしまうのだ。たくさんの若いおねえーちゃんが学費を工面するために風俗で働いている。その学校はだいたいが専門学校だ。卒業したってまるで就職には有利にはならない。世の中の専門学校ビジネスに完全にカモにされているのである。その現実がわかってしまってまた風俗に戻ってしまう。そこから抜け出せる人はほんの一握りである。万馬券を当てるよりも難しい・・・・・・人間、代わりなどいくらでもいるのだが、それはよく判ってはいるのだが、それでも、とても悲しい現実である・・・・

人生はその瞬間瞬間の判断である。そのちょっとした判断の正否でその後は決まる。不幸な女はその判断がどこかでほんのちょっとずれただけなのだ。世の中にはそれこそ無数の罠が隠れている。先の元モーニング娘の加護なんたらも、喫煙事件ですっかり狂ってしまった。もう二度とアイドルには戻れない。この先上手くいったとしてもゴシップタレントとしてしか生きていけない。こんなはずではなかったと嘆いても後の祭りである。まあ、この女はかなりのバカだろうから、しぶとく生きていくんだろうな。なにも考えず。

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