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2016年4月29日 (金)

リハビリ

本日は昭和天皇陛下の誕生日で祝日です。よって、事務所の玄関前に日本国旗を掲揚す。まわりにそんなことしてる事務所とかないからけっこう目立つかな?

先日、病院前のバス停で意識不明になったことで、脳から首の動脈までのMRIの検査結果を脳神経外科の医師から聞いてきたんだけど、脳も血管もまったく異常無し。よって脳神経外科の問題では無い、内科かな?とのこと。でも一応、脳波も検査しようか。っって・・・検査して検査結果が一ヵ月後だって・・・また倒れたらどうすんの?

倒れたとき、心電図には異常が無かったからか、内科の医師の診察は無かったのだが・・・ちょっと不安なので、血圧計をきちんと腕に巻きつけて計測し、また、心臓の鼓動の異常も計測できるものを購入した。

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手首に巻きつけるタイプの血圧計は持っているが、いまひとつ正確性に欠けるのだ。早速計測してみると、手首のタイプよりも低い。100以下は低すぎるよね。

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ついでに低周波治療器も購入。リハビリで毎回やってもらってるので、自宅でも治療しようとの判断である。 リハビリの先生に、治療器を買ったんですよと報告すると、それはGOOD!と、この筋肉の動きが衰えているので、ここに当ててくださいとのこと。わざわざ本を持ってきて説明してくださった。実にありがたい。

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管理人みたく、頚椎の手術をする人は、実は、けっこう多いとのことである。リハビリが必要になるかならないかは人それぞれだそうだ。 それにしてもリハビリを指導する先生方は大変なお仕事である。相対する患者は管理人みたいな外来は少なく、殆どが入院患者である。多くは車椅子で、そんな患者を3人くらい同時にリハビリ指導しているのだ。関節を動かしてあげたり、リハビリ機器の用意とか、かなり重労働である。 顔見知りの入院患者さんとお話するのだが、リハビリの先生、大変な重労働だ。でもさあ、病院って大変だよ。理解しようね。  患者さん達・・・

禁煙して早や二ヶ月が経過した。一ヶ月も経てば完全に吸いたくなくなるなんて、禁煙成功者から聞いたが、まだ吸いたくなる衝動にかられる・・・ 身体の調子が思わしくないからよけいに吸いたくなるのかねぇ? それにしても人間って微妙なバランスの上で健康を維持できているのかと思う。手術してから、いたるところに不調が現れる。 手術後、体の治りがとても遅かったのだが、意識不明で倒れ、顔や眼の周りに傷や内出血跡があったが一週間で傷も消えた。すこしは治癒能力も回復してきたのだろうか? リハビリはすでに一ヵ月半受けているが、手のほうはなかなか良くならない。まあ、あせらず、ゆっくり治していくしかないわな。

本日、役所の前に、自治労が集まっていたが、人は少ない。サヨクの動員も難しくなってきているのかな?日曜日はメーデーだから、その予行演習だったのか? そういや渋谷のデモ行進もすっかり無くなったよ。 5月1日、あるいは5月3日の憲法記念日にはデモ隊が出現するかな? 

2015年7月9日は大きなターニングポイントだったのかもしれないね。まさか「余命三年時事日記」http://yh649490005.xsrv.jp/public_html/が書籍化されるなんて夢にも思わなかったからね。3月にはハンドブックで、なんとあのスヒョン文書を掲載、5月には第二巻が発売される。!!!

http://www.amazon.co.jp/dp/4792605490/ref=pd_lpo_sbs_dp_ss_1?pf_rd_p=187205609&pf_rd_s=lpo-top-stripe&pf_rd_t=201&pf_rd_i=4792605369&pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_r=18KYK6BNXH9RYYPHZANG

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初代余命氏が予言?してたが、戦後70年、いったい日本人がサヨク思想からどこまでマトモに戻るのか?あるいはその反動でかなり右に振れるのか? 景色が変わってきたよ。

 

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2016年4月23日 (土)

病院食

病院の食事って、塩気がぜんぜん無いのは知っていたけど、量が極端に少ないのはびっくりした。

写真がぶれちゃってるけど、これ入院当日の昼食。午前中に入院ですぐに昼食が出たのにはびっくりした。

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手術前日の夕食。最後の晩餐になるかもしれないから?ちょっと豪華に思える。たしかに最後の晩餐になりそうだったんだけど(笑)

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手術日当日は食事無し。点滴とかチューブに繋がれてるから食べることは出来ない。手術の翌日の朝からなんと食事が用意された。起き上がれないから、まったく食べれない。

看護師さんが、「食事、串刺しにしましょうか?」とのこと。手が不自由な患者のために、食事を串に刺した状態で盛り付けてくれるとのこと。 でも、体が起せないので食べることが出来ない。術後3日でようやく20%程度、食べれた。食べないと、いつまでも点滴が外れないので苦しいがなんとか口に入れないとならないのである。

写真は手術後4日の朝食。尿カテーテルや点滴などが外れて、ようやく写真を撮ることが出来るようになった。両脚を固定、点滴に排血チューブ、尿カテーテルなんて付いてたら、写真なんて撮れないよ。手術後2日はまったく食べれなかった。無理だよね。

朝食は必ず牛乳が付く。毎食、なぜか番茶。塩気の無いおにぎりに、高野豆腐の煮物、それにほうれん草? たったこの量でも手術後では食べきるのは大変である。朝7時に朝食って早いよね・・・

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ぴったり正午に昼食。朝食に比べ、ボリュームアップ。

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夕食。19時に用意される。ボリュームは下がる。

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術後5日目の朝食。前日と殆ど同じ。

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その日の昼食。手が不自由なのに、なんでジャムを塗らなくてはいけない食パンなの?これ食べれない!と言ったら、看護師さんがジャムを塗ってくれた。すみませんねー。

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術後5日目の夕食は撮るのを忘れた。まあ、前日と同じようなものだ。

術後6日目の朝食。殆ど毎朝、代わり映えがしない。これで翌日は退院である。大丈夫かね?

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次の日は午前中に退院なので最後の昼食だ。パイナップルって、あんまり好きじゃないが、残すとまた点滴されるというので完食す。

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最後の夕食。一品多い。

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退院当日、最後の朝食。退院の日でも、病院食って、殆ど変わらないんだね。手術前日の食事が一番豪華だった。

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手術日とその後2日、計3日はまったく食べれず、ちゃんと食べれるようになったのは術後4日だからね。一週間で4kg減ったのも当たり前かね。 一日にちゃんと3度の食事だけれど、量が少ないから、娑婆に復帰しても直ぐには以前のように戻らないよね。 管理人は9日間の入院だったのだが、それでもダメージは深刻だ。退院してから一ヶ月を経過したが、意識を失って倒れるなんて始末だ。 普通は入院して病院食を食べてると、血圧も正常になり健康になっていくと言うけれど、自分の場合は逆のようだ。

入院しないよう、皆さん、気をつけましょうね。












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2016年4月20日 (水)

救急その後

本日は、昨日の出来事のために、またもやMRIの検査であった。昨日、緊急のCTスキャンはやったのだが、今回は頭の先から頚動脈までスキャニングするとのこと。うわー、時間が長いんだよね。黙って動かず40分間も、頭の周囲を囲われてるのって、けっこう苦しい拷問である。

そんな拷問も無事終わり、昨日の現場へ(笑)

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この場所、ステンレスの柵の上に腰掛けて意識を失ったのです。周囲の人はびっくりしたろうね。なんたってバス停なんだから。顔から地面にドシャッってくずれたんだろうね。両膝は痛いけど手が痛くない。一気に意識が無くなったのだろう。

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バス停で倒れたから助かったのかも。バスに載ってたらやばかったかも(笑)

それにしても昨日、いつ点滴の針を刺されたのか、まったく記憶に無い。救急車の中で名前を呼ばれたりしたのはかすかに記憶しているのだが、今思えば、救急車の中の出来事が夢の中のような曖昧さである。 

それにしても最近の病院はハイテクである。 どんな治療が行われ、これからどうするか一目瞭然でデータ監理されている。

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救急はやることが多くて大変だよね。かなり以前に、北海道の友人から送ってもらった「花咲かに」を出刃包丁で切ろうとして、自分の指を切ってしまい、救急で対応してもらったことがあるが、救急の医師も看護師さんも大変な仕事で、ホントすなまいと思いましたよ。 救急は緊迫感が違うよ。

昨日は疲れもあったのか暑かったのか・・・まあ、27日には今日の検査の結果が出るだろう。 それまでは待ちですな。

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2016年4月19日 (火)

救急車

今日は朝から有楽町~銀座での下見、打ち合わせ。午後から病院での手のリハビリだったのであるが、リハビリが終わり、精算を済ませて、バス停でバスを待っていたら、急にふらふら調子が悪くなり、あまりに具合が悪いので、パイプ状の柵に腰掛けたら、いつの間にか救急車の中だったという笑えないことになってしまった。

気がついたときに何故、救急車に乗っているのかも判らず、ちょっと前に出てきた病院の救急センターのベッドに移動されて、それで、気を失って倒れたってことが理解できた。 頭を強打したこともあり、すぐさま頭部のCTスキャンされて、とりあえず異常は無いようだが、また明日はMRIの検査とのことだ。一体、何回MRIをするんだよー。

それにしても相当な勢いで倒れたみたいで、顔面の傷がけっこう酷い。それに膝も痛いので、明日は体中が痛いかもしれない。一応、柵に腰掛けてたからこのくらいで済んだのかも。立った状態ならば、かなりやばかったかもしれない。 昔は血圧が低めだったから貧血気味にはなったことがあるが、完全に気を失ったのは初めてだし、救急車で運ばれたのも初めてである。 バス停でバスを待っていた人が119番をしてくれたのかねえ。すいませんです。

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なんか、考えなくてはいけないのかなあ。 事務所も住処も渋谷から埼玉あたりに移動したほうが良いのかなあ。 アシスタントを入れるとか、あるいは事務所閉鎖も視野にいれなくてはいけないのかなあ。 

なんか参ったなあ・・・ 

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2016年4月14日 (木)

記事のチェックが必須

身体の調子は相変わらず悪い管理人です。 明日はリハビリ。 なかなか両手の麻痺は治りませんな。

まあ、当たり障りの無い、最初の文章。これ重要で、いろいろなチェックからは逃れられるからね。 「余命三年時事日記」の初代がやってた手法ですな。 管理人が余命にたどり着いたのは、たしか「三峡ダム」の記事だったかも。 それから海中センサーとかの記事で、軍事オタクの管理人としては、もう必読!どんだけー!って。 それで残念ながら初代かず先生が永眠してしまい、この先、どうなるの? そうしたら二代目がブログの継続! 初代は目立たないように事実の羅列。。。よくもまあ、曲芸みたいなものだよね。 二代目がまた良かった。 記事アップはけっこう待たされたが、「余命、アップしたよ!」みたいに、友人と余命記事で連絡したりしてた。 二代目、なかなか上手くて、一回文章を読んだくらいでは判らないようにしてあり、前後左右、いろいろな記事を読んで、ようやく理解できる。そんな文章であったように思う。3回くらい、余命三年時事日記を全て読破した。 まあ、一度は読破することをおススメいたしますが(笑) 二代目は初代、あるいは二代目の以前の記事を再度アップし、徐々にオブラートを剥がして、実は・・・ 実は・・・ という手法でした。 この実は・・・を理解するのがなかなか難しかった。 それはそれで楽しくもあった。 初代、二代目までは一方的で、読者の意見はまったく扱わなかった。 

それから三代目の現在の余命翁。 放談会のA氏と思えるのだが、直接的な発言でわかりやすいが危険もあるかと感じられておられるのか、なんと読者の意見を記事に取り入れた。余命の読者には夢のようなことでもあり、不可思議な感覚でもあり。でも「余命三年時事日記」が世の中に書籍となって現れたのは物凄いことである。喜ばしいことであるが、余命翁の読者の意見の中にそっと「ヤバイ事実」を記載しているので、そこは要チェックが必要である。

578  国防事案④

.....日中戦争はまず99%あり得ない。なにしろ軍事力に差がありすぎる。ここで言う軍事力とは、双方が対峙して戦う場合を想定しているが、闘いの場は東シナ海から南シナ海という海戦である。海上戦でも海中戦(潜水艦)でもレベルが違いすぎる。潜水艦をはじめ軍艦船は軍港から出ても近海をうろうろするだけだろう。なにしろ海軍は兵員不足、潜水艦は3割以上も不足しているのが実態である。戦意は全くなく海戦となればおそらく出撃は不可能だろう。出撃=100%戦死確定では逃げるのは当然だ。

*これは中国の軍事OBとの放談会を 中国の潜水艦は180メートルが限界? 

583  選挙関連アラカルト⑪

.....満18才未満は選挙活動ができない。そんなことはお構いなく法違反である在日朝鮮人組織民団を総動員して民進党(民主+維新)と共産党は選挙活動をしている。
 選挙活動を使い分けているのである。同じことをしていても自分たちは善、反対側は悪というやり口は彼らの得意のパターンである。
 気持ちはわかるが、揚げ足をとられないようにできることをするだけだいいだろう。
直接、在日や反日勢力と対決することはない。方法はいくらでもある。たとえばツイッターでもラインでも、キャンペーンで彼らに致命傷を与えることは可能である。
どこの書き込みかは記録にないが以下のような資料が残っている。その一部。
「今時、余命を知らない高校生なんていなよな」
「部活が終わって余命爺の話をしていたら余命爺てなあにって先輩に聞かれた。あきれた」「昼休み、教室で10人ほどを前にして18才選挙権について持論をぶち上げているやつがいた。一人が聞いた。余命はどう言ってるの?余命って誰?みなしらけた。俺も超、恥ずかしかった。そいつは友人だったからだ。1分後、教室には誰もいなくなった」
 余命時事日記の存在と拡散も「日本再生」の立派な手法である。
 

*今時、余命を知らない高校生なんていないよな」 これ何気に凄みを感じるのだが・・

586  2016年4月9日時事

.....2012ねんは民主党の絶頂期で、韓国は李明博が日本乗っ取り完了宣言を出す始末、在日は好き勝ってやりたいほうだいだった。在日を扱うブログはあっという間にみな潰された。そういう環境の中で、チェックを逃れて生き残るための細工が「余命三年時事日記」というタイトルだった。これはブログでも述べている。政治臭をなくして人畜無害を装う作戦だったのだ。
 最初の書籍化はできるだけソフトに刺激的にならないようにという余命が初めての読者への配慮もあって、こうなっているのである。

.....現在585稿である。余命本とハンドブックの2冊ではブログ換算で約3000ページ分のうちのわずか2割程度しか扱っていない。しかし一つのテーマの解説は少なくとも数稿にわたっており、3年以上前の記事を全部再掲という作業は現状では無理である。したがって、読者の投稿の折に触れてその部分の再掲をして、復習、確認をしていただいているのである。
 アップ数が多いので、紛れているが、実際はかなり重要な情報を流しているのでチェックしていただけたらと思う。
 言葉は悪いが、自民党がこっそりとやろうとしている法改正の狙いを簡単にアップするわけにはいかないのだ。国会に提出されている法案の内容と狙いは、まず丁寧に読み込まないとわからない。今国会は官邸メールにある在日特権剥奪国会と位置づけているが、
今その下地作りが進んでいる。今回、問題となっているヘイトスピーチ法も自民党の対応は骨抜きであったが、この余命欄でも不安の投稿があり、余命を困らせた。
 選挙法の改正や在日対策、指紋押捺についても観光客の利便性というところからすべての外国人への適用をめざしている。免除されている在日にとっては発狂事案である。
 基本的に相手を利する事案は控えているということである。

.....一つ一つの事象を単独で見ていては「木を見て林を見ず山を見ず」ということになる。この件は第一次安倍内閣の時にインドとの関係で、まともに報道されていないが、「核実験場を提供しても良い」というような話があって、そのあとの米国極秘会談につながっている。米国の核容認はそういうところからも影響を受けているのである。
 その米軍であるが、盧武鉉の反米政策に嫌気がさしたブッシュが在韓米軍撤退を決断して、韓国軍の情報収集をはじめたのだが、なんとまあ、韓国の軍機密、政府の重要機密がほとんど暗号化されずにダダ漏れになっていた。恐ろしいのは同盟国である韓国に米はそれを教えなかったことである。2012年にその実態が韓国側から次々に明らかになるが当然米は知らん顔である。韓国は指摘もできず、米は今もって認めていない。したがって米の韓国切り捨てという話は唐突に出てきたものではなく、何年もの情報収集の結果だったのである。 韓国の裏切りがはっきりして、2010年からは軍事GPSは停止、新規の更新は何一つしていない。はなはだしきは敵味方識別暗号まで旧態のままなのである。これらの実態はすべて韓国側から明らかになっている。
 余命がこれを報じたとき(実は公開されていると誤認していた)妄想、デマ、ガセ等あらゆる方法で叩かれた。民主党の自衛隊機密文書漏洩を指摘したときも同様であったが、このソースは米からであった。結局、この件は帰化議員陳哲朗(福山哲郎)の自認質問で30000件ものデータが流出したことが確認されている。
 ブッシュの時からの核容認には、米ロの中距離核削減が絡んでいる。交渉がうまくいかず、固体燃料の耐用年数の問題で廃棄予定のミサイルの処理問題を抱えていた米の思惑としては、唯一安全な核弾頭売却国として日本は非常に魅力的な国だったのである。
 当時、確認はしていないが、うわさでは300基程度が2018年から廃棄処理という話だったから、そろそろなのだろう。
 米が日本の潜水艦を豪にプッシュしているのもこの関係があって、現在、日本の潜水艦年1隻ベースで2社が隔年で建造している。受注での技術移転は当初は日本での建造となるためフル稼働と設備増強につながる。4000トンクラスの潜水艦は核装備が可能だ。技術的には何の問題もない。すべてが戦略的につながっていることがわかる。
 核サミットでのプルトニュウム返還もパフォーマンスであって、舞台裏で米は返還を渋ったそうだ。現状ではまだ40トン程度あるようだが、核弾頭1発4㎏程度といわれているから単純に考えると超大盛りサービスしても1000発分はある。(笑い)
 米が無条件で売ってくれるのなら、わざわざつくることはない。実際には使うことはなく単なる抑止力であるから、今の状況で充分ということだろう。影響はない。

*以上、最近気づいた、余命三年時事日記の記事でした。

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久しぶりに時事ネタ?

ずっと病院ネタばかりだったので、久しぶりに時事ネタ。

お隣のお国の総選挙、与党が負けたようですな。まあ、予想通りではあるけどね。

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016041400085&g=int&google_editors_picks=true

ソウル時事】13日に行われた韓国総選挙(定数300)は、14日まで開票が続いた。最終確定議席は、与党セヌリ党が122議席で、最大野党「共に民主党」の123議席を下回った。第3勢力の新党「国民の党」は38議席。与党は勝敗ラインとした過半数を大きく割り込んだだけでなく、第1党の座も明け渡す惨敗となった。

なーんにも考えてないだろうな(笑) まあ、与党がある程度勝った状況ならば、北のほうからなんらかのアクションがあっただろうけど、北シンパの野党が勝ったので、北への援助というか、裏も表のカネも北に流れるだろうから、半島はある程度、安定するのではないだろうか?今までどおり、安全をカネで買っていた状態に戻るということ。ただし、南の経済は崩壊寸前だから、このままじわじわ貧乏になっていって、北と南が同化していくのかもしれない。まあ、今の今までが半島には不思議な状態だったのだよ。本来の姿に戻るだけだ。

http://kkmyo.blog70.fc2.com/blog-entry-1097.html

「中韓を知りすぎた男」 このブログへのコメントが気になったのでコピペしておきます。Ban150206_r4_c2

山口組と神戸山口組の抗争

   ソロです。 山口組と神戸山口組の抗争が始まって、神戸に住んでいる身にとって、とても、穏やかな気分では居られませんが、一体どうなって居るのか。

 在日朝鮮族の様に、「自国外にいれば、権利が制限されたりするのは、寧ろ当然」と云う認識が出来ていない国の国民に対するに、世界的には、当該国は、厳しい入国制限や退去命令でこれに対処するのが慣行の筈、何となれば、それが「国家と云う括り」だからだ。

 処が日本の場合、半日本人・半朝鮮人/韓国人の立場=在日韓国朝鮮人と云う特殊ケースを、米国の圧力で認めて終ったが故に、戦後70年経っても、退去命令や入国制限が実質上実効の無いモノに終わって居る、惧れが有る。 是は、日本の中枢部にいる帰化人やシンパの協力が有っての事で、一種の侵略行為の容認である、と云えよう。 

 在日韓国朝鮮人の存在の大元の原因は、終戦直後、米国の赤狩りで生じた政治難民であるが、何故、何時までも日本がその災禍を蒙らねばならないのか、日本に住み着いた朝鮮族は、伝染病の細菌の様に、或いは、寄生虫の卵の様に宿り主に同化せず、社会を劣化させ何時までも悩まし続ける。 その一端が「ヤクザ」「暴力団」の朝鮮人化であり、今回の山口組の分裂現象の原因なのである。

 本来、大方は日本人で構成されていた山口組が、神戸山口組の分裂・対立に至ったのは、日本―韓国―米国の3国間の取り決めで、暴力団と云う非合法団体をテロ組織と認定し、日本人として確定しない身分の個人や団体の資金の移動を厳密に監視し、悉く課税すると云う法律運用を顕著にしたからで、更に、資金を海外逃避させても、差し押さえ、没収等の厳しい措置を適用される事になったからである。
 
  すると従来の山口組のママなら、日本人構成員も資金を差し押さえられてしまうから、団体を分ける必要が生じた。それ故、前者が朝鮮・韓国系(帰化人を含む)、後者が日本人と利害を異にする様になり、お互いの利権の重複部で抗争が起こって居るのです。

 つまり是は、戦後体制の刷新への第一歩であると云えよう。 その正常化運動が、非合法・反社会的組織への攻撃になったのは、或る意味、戦後70年に亘り、帰化を拒んできた朝鮮族の自業自涜であると云えよう。

   分裂宣言から凡そ10ヶ月、現状、山口組3万人→2万人 神戸山口組1万人に変化しているが、在日集団がやがて資金難に陥るのは、法制から言って必然であろうから、年内には規模が伯仲、来年は逆転するであろう。 追い詰められた山口組が、抗争を激化・拡大させる事は十分考えられるので、丸暴だけでなく公安もテロ対策として、対処する事も考えられますね

以上、貼り付け終わり。

世界はアンビリーバブルな状態になっているね。第二次大戦後の秩序の崩壊である。中東の繁栄、欧州の平和、米国の覇権、西側のショーウインドーとしての韓国の繁栄などが限界にきたようだ。最後のフロンティアとして中国を、人も土地も全てをこき使い、利用したが、それも限界を超え、世界がデフレーション(全てが過剰)で、富を生めなくなってしまっている。 まあ、それを克服する手段はただ一つしかない。 戦争で過剰を破壊し、不足(インフレーション)を人工的に作り出すしかないんだよね。戦後70年の総決算をしなければならない時がやってくるだろう。 

久しぶりに時事ネタ?でした。

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2016年4月13日 (水)

術後一ヶ月(グロなので閲覧注意)

手術してから一ヶ月が経過した。 今回の記事はあくまで記録であり、写真があまりにグロテスクなので閲覧にはご注意くださいませ。

ちょうど一ヶ月で執刀医による診療があった。 手の麻痺の改善はあまり進んでおらず、それよりも右肩から腕に渡る激痛を訴えたのだが、「神経を触ったのでいろいろ後遺症があるんですが、今後、様子を見てもらわないと・・・」と、つれない返事・・・ つらいのう・・・

リハビリの先生に同じように右腕の激痛を訴えたら、今までの指先のリハビリだけでなく、肩、腕の筋肉のトレーニングも追加となり、2週間に1回のリハビリを毎週、あるいは週2回まで増やすことになった。 リハビリの先生によると、手術の影響で、落ちてしまった筋肉とそうでもない筋肉とのバランスが悪くなっていてそれで血行障害が発生して痛みが出ているのではないか?とのことである。だからと言って単に筋トレをしたら弱った筋肉を傷つけてしまうので、慎重にトレーニングをする必要があると。それでリハビリの回数を増やすことになった訳である。

術後一ヶ月。 見えない首の後ろの傷跡を撮ってみた。 グロなので閲覧注意!!!

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けっこう大きな傷だよね。100ミリ以上の長さだよね。 まあ、下記の画像の手術5箇所だからね。傷も大きくなるか。

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退院当初の首の内出血はきれいに消えたようだ。でもいまだに両手の指先は痺れているんだけど。

写真は内出血の様子 閲覧注意!

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i-phoneの写真を見ていたら、手術後の記念写真が。16:44分とある。麻酔から目覚めて直後だ。このときはまだ元気だったのだが・・・

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グロテスクな写真ばかりで、すんません。 とりあえず、記録ということで・・・

術後で指がいうこと聞かないし、それに天気も悪くて、今年は桜を撮れなかった。病院の隣の駒沢公園でまだ咲いている桜らしきのをパチリ。グロ写真のお口直し?

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術後一ヶ月の報告でした。







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