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2011年3月21日 (月)

地震のとき③

あの大地震から10日ほど経過し、友人、知人から、そのときの彼らの被害状況がだんだんわかってきた。

ある友人は、現場の定例会議のために川崎にいて、そこで地震にあった。さすが一流ゼネコンの設計士、周りのビルを眺め、さすが日本の建物は丈夫で揺れても倒れない、壊れない。冷静に見ていたことを回想する。しかし、これはヤバイ揺れだ!と判断し、すぐさま奥様に電話をするも、まったく繋がらない。すぐさま公衆電話を探し、なんども電話を試みる。ようやく繋がったら、いつもは六本木で仕事をしている奥様がなんと所要で上大岡まで来ていたと。それでこれから電車で買えるともりでホームで待っているとのこと。すぐさま友人、電車は来ないからタクシーですぐに帰るように指示をし、まだ早い時間であったため、奥様は無事にタクシーで帰ることができた。素晴しい判断である。あとは本人である。もうタクシーは無理と判断した友人は支店に行き、そこで自転車を物色。そうしたらつかっていない自転車が一台あった。それを借りた友人は金沢八景の家まで自転車をこぎ続けた。その間、道路の街灯はすべて消えて、またタクシーやら一般車ですごい交通渋滞。まったく車が動かない。歩道は徒歩で帰る人の波で、隙間も無い。そこでかれは、車道をまるで車の脇をすり抜けるバイク便のように走りきり、2時間30分で、無事、家に到着したそうである。よかった。

ある友人は自宅療養中、プラモデルを作ってたときに地震が来たらしい。家の中の家具が倒れはしなかったが落ちたり動いたりで、それの片付けが大変だったようだ。健康的被害はなにもなくてよかった。

友人「ぷ」は、羽田空港に行く途中、モノレール上で地震にあったらしい。それも地下トンネルのtころだったらしい。地下でもかなり揺れたらしい。それで、次の駅で降ろされ、そこから3時間かけて自宅へ歩いてもどったらしい。とにかく歩いて帰る人が多すぎて、それでコンビニや店のトイレの順番待ちが酷かったそうである。そこでも冷静な「ぷ」はパチンコ屋で快適に放尿をしたようである。パチンコ屋はトイレの数が多い。さすがである。

肉食獣も実は同じく羽田空港に向かっていた。獣は京急だったのだが、それでやはり次の駅で降ろされたようだが、次の日長崎に行く予定だったので、蒲田で一泊、次の日は長崎に無事、飛んだようである。獣からは携帯に電話があったのだが、結局「ぷ」とは連絡がつかなかったようである。

大魔人は会社にいたらしいのだが、早く帰ればいいのに、なんと18:30の定時まで会社にいたようである。会社のある八丁堀から練馬まで、やはり徒歩で帰ったとのことだ。それでも10:30には家に到着したようである。孫が4人もいるじーじであるが、すごい体力である。

友人「ぷ」と一緒に羽田空港へ向かっていた顧問であるが、御歳75歳。なんと羽田から三鷹まで6時間をかけて徒歩で帰ったようである。恐るべし75歳である。

一番悲惨だったのがフォアグラ。彼は、その日、展示会のため、有明のビックサイトにいて、それから会社に帰ろうとした矢先に地震に会った。会場はあらゆるものが揺れて、全員会場から退去と相成った。それで、フォアグラは徒歩で秋葉原の事務所まで戻った。すぐに帰ればいいのに、定時まで会社にいて、それで彼は、なんと会社から自宅のある川越まで徒歩で帰ったのである。なんとその時間7時間30分以上。家に到着したのは午前2時30分を過ぎたころらしい。ビックサイトから秋葉原、それから川越。なんと10時間以上も徒歩。歩数は7万歩を超え、100kg近い体重は2.5kg減ったそうだ。

なんとも皆様、お疲れさまでした。

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