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2010年3月30日 (火)

ぼんくら

今、ぼんくらに悩まされている・・・・・・・ある現場で、かなり名の知れたメーカーが照明を納入するのであるが、その担当者に、電源はこうだから、それに対応しとけよとずーっと前から警告し、それでもあんぽんたんみたいな面だったので、私の師匠まで差し向けたのだが、それでも納期が差し迫ってるのにまったく対応できていない・・・・・・もう想像以上のぼんくらである。こんな大バカでもそれなりの名前が通った企業に勤めていればそれなりに給料はもらえるのである。だから企業は儲からずに不況になるのだ。昔、六本木のお仕事で、なんか有名な家具屋だかのぼんくら達がくだらないことで悩んでいたから、家具職人に訊いてこい!と説教を入れたことがあったが、やはりそのぼんくら企業、何年か後に倒産したようだ。そんなぼんくら連中の会社は潰れて当たり前なのである。頭を使うことが出来ないヤツはデザインとかモノを作る仕事には向かないのである。

通常、どこの現場でもぼんくらというのは悲しいかな存在してしまうのである。これは致し方ない、自然の摂理なのだ。しかし、先の現場はぼんくらがすごい多いのである。自分の設計範囲の業者もレヴェルDクラスで、なんと施工図も描けない・・・・・・スピーカーの位置、設計図から動かしていいですか?と訊いてきたから、施工図を出してくれればいいですよと・・・・ちゃんと角度を検証してね・・・といったらば、なんと、設計図の位置で付けたいと・・・・・・・・・検証が出来ないのである・・・・・・・ぼんくらというのは恐ろしい・・・・

「ぼんくら」は間違っても転職など考えてはいけない。どこへ行っても「ぼんくら」は「ぼんくら」のままなのである。

ぼんくらの見分け方

①眼がトロンとしている。

②言葉の理解力、読解力が無い。聞いているようで聞いてない。理解できてない部分を理解できない。

③動きがトロい。頭の回転が鈍い。

④言葉が下手。相手に対し、意思を伝えられない。

⑤判断に時間がかかる。だから時間にもルーズで、時間の観念がない。

よって「ぼんくら」は想像力に著しく欠けているので、頭を使う仕事には向かないのだ。

ぼんくらには気をつけよう。

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本能に相対する虚構

我々人類は糧を得るために世間体や村、町、都市、国家を作り、生命を存続させるように進化してきた。それで元々持っていた生物としての本能を退化させてきたのである。文明が進むほど小子化になるのは、本能が退化し、それを虚構という概念で補うからなのである。虚構=ロジックで当てはめるほど、元々の本能は封じ込められる。子供を産み育てるなんていうのは、元々生物が備わった本能なのである。医療や科学などの発達は、益々我々を虚構の世界へと導く。女性は本能的で男は理論的というのが一般的な理論であるが、それはまったくの嘘である。実は男のほうが本能的である。女性が希望するように思想も行動をも変えるのが男なのである。だから虚構の現代では男は草食系となり、女性の好みへと進化(退化と同意語)しているのである。

でも、まだ我々はかろうじて本能を残している。だから戦争もするし、恋愛もするのである。恋愛や喧嘩が出来ないのは、すでに本能がかなり少なくなって、虚構が大部分を占めているからなのである。それが生命のパラドックスで、進化が進めば進むほど、生命の維持という本能が少なくなり、逆に維持が出来なくなるのだ。それを神の見えざる手というのかもしれない。

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2010年3月29日 (月)

世の中、振り子のようなものである。

ついちょっと前まで、個性がとか個人がとか騒がれたものである。不景気のせいか、そんな戯言が聞こえなくなってきた。ちょっと時代に敏感なんだか、研究?している人が、ナショナリズムの台頭だとか騒いでいる。ちょっと斜めに見たら、ちゃんちゃらおかしい。所詮、世の中など、女性のスカートの丈のように長くなったり短くなったりするものなのだ。自動車のデザインだって丸くなったり四角くなったりなのである。

個性、個性とか言って、個人に主体性を持たせたりして、それでどうなったか?そんな主体性を持った?個人だって、所詮、皆と同じ格好をするし新聞は読むしテレビも見て、他の人を話題を共有するものなのだ。(昔からそうだが、若い人はみんな同じ格好をしている。学生服だって、変形させるのは基本が同じだから変形させるのに価値を見出しているだけである)自分らしい生き方・・なんて、そんな戯言をまともに信じた世代は自分を見失っている。自分の好き勝手に生きれるほど、実は世の中、所謂、世間体は甘くない。お金=生きる糧というのは世間体があるから生み出されるのである。だから村とか町とか国とかが出来たのである。その生きる糧をいかに守るか?それがナショナリズムなのである。思想なんかではない。生き延びる=思想なのである。

結局、我々生物は、いつも生き延びれる可能性を探しているのである。だからナショナリズムがむくむく盛り上がってきたということは、生命維持が難しくなってきたということの現れなのだ。戦争などナショナリズムの権化である。

お話はちょっと拡大してしまったが、所詮、個人の個性など、平和の時代の仇花でしかない。人は実は主体性など意外にもってはいないのだ。逆にそれは苦しいのである。変わったモノはいつも少数だから変わったモノなのである。一般的になるとそれはもう希少ではなくなる。だから世の中はいつも振り子のように行ったり来たりするのである。

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2010年3月24日 (水)

笑止千万、デフレ克服論

経済学者やら、評論家やらがデフレ克服の方法を論じている。大体が、自分で商売も出来ないくせに経済を語るな!ボケ!と思う。もし、それぐらいに経済がわかっているのであれば、学者や評論家などスグに止めて、商売を始めるだろう。そのほうが確実に儲かるだろう。でもそれをしないのは盆暗で無能だからである。本当に賢い人は自分で商売を始めて儲けて、それをだれにも言わない。当たり前である。だから、こんな無能な盆暗どもも書籍やお話を有難く聞くなんて、聞く方が間違っているのである。大体が、学歴や経歴を重視して、それが優れてると本人も優れていると思ってしまうのがそもそもの間違いなのである。こんな馬鹿経済学者どものお話が本当ならば、デフレやインフレなどカンタンに克服できるではないか?国だって、そんなに借金しなくても経済は廻るだろう?でも今の現代にそんな国は存在しないだろう。経済学者の能力など、所詮、そんな程度のものなのである。○応大学の金子某、あいつもただの先生なくせに生意気に本など出している。自分で金を稼げないっつーか、商売もよく知らないだろうに。その○応大学は投資で大失敗だから大笑いだ。所詮、馬鹿なんだっつーの。ちょいと昔は先生と言われるほど馬鹿ではない!という言葉もあったくらいなのである。大昔の先生は、その名の通り、先に生まれて他よりも賢いから「先生」だったのだ。言葉の表現は正直なのである。使う人間のほうがいい加減で意味もよく解らずに使っているのが現実なのだ。

デフレなんて、馬鹿経済学者がいうのとは根本的に理論が違うのである。どんな商売も旨みがあれば、当たり前に沢山の参入するヤツラが出てくる。それでライバルが増えてしまうので、当然に儲からなくなる。それで生き残りをかけてダンピングするから必ずデフレになるんだよ。当たり前のことなのだ。昔は自国内で商売規模も小さいからインフレとデフレの波が比較的短い時間で交互にやってきたのである。しかし、今はグローバルとかいう国際社会である。参入したのが中国やインドなどの発展途上の国である。そりゃ規模がでかいから、デフレがインフレになるなんて、それは気が遠くなるくらいのスパンなのだ。中国やインドの人達の給与が上がって、コスト競争で勝てなくならないとデフレは収まらない。でもその中国とインドの後は阿弗利加である。だからこの先、今までの商売ではずっとデフレが続くのである。

どんなに馬鹿どもが理論を振り回したところでデフレなんて克服できないのである。

今、テレビがまったく駄目である。すごい有能であろう人材がたくさん集まっているにもかかわらずである。でも、これからもどうしようもないだろう。打開策など無いのである。何故テレビが駄目になったか?評論家がいろいろいい加減なことを言っているがどれも見当違いである。くだらない番組?少ない予算?視聴者の多様化?どれも的外れである。実は問題は非常にカンタンなのである。単にモノが売れないからである。だからテレビが儲からないのである。これは雑誌や新聞などのメディアは全て同じである。昔は皆、なにも持っていなかったので、宣伝すれば、ほしいモノが売れた。でも今はだれもがほしいモノが無い。もうすでに十分に行き渡ってしまったから、もう欲しいモノが無いのである。だからテレビでいくら宣伝してもモノが売れないのである。だからスポンサー企業も宣伝にお金を掛けなくなる。テレビやメディアが儲からなくなるのは当たり前である。

どんな商売も旬があり、それで衰退するのである。起承転結なのである。ここがポイントなのであるが、歴史は繰り返すのである。

終戦当時、酷い時代であった。戦争前、大正デモクラシー(平成デモクラシー???・・・ヤバイ)の後、昭和になり、大恐慌・・・・・それで世界はそれを脱却するために大戦争になって破壊、蕩尽をして、再生という流れの経済活動を行ったのだ。それをいまでも地味に続けているのが亜米利加である。それでそこにコバンザメみたくくっついて漁夫の利を得てきたのが日本国である。だからずるいとか言われて隣の国から文句を言われ、亜米利加からはお前、誰のおかげで儲けたんだ?っていわれて脅されているのが現状なのである。70年前は世界戦争をすることによって、世界は不況から脱したのであるが、今の現代はこれだけ情報が行き渡ってる世界にそんな世界戦争などカンタンには仕掛けられない。だから亜米利加はあんな嘘までついてイラクを攻撃したのだが、嘘がカンタンにばれて散々である。なんだかんだ言っても人類は進化して高度になっていくのである。商売だって同じである。ちょいと昔と同じことをやっていては商売にはならないのである。右肩上がりの時には管理者がいればよかった。間違いをしない、確実にことを理論的にこなせる人材が必要だったのだ。だからよく勉強ができて理解が早い人材が重宝さっれたのだ。それから経済はゆっくりと右肩下がりになり、そのときには、チームをまとめるような人材が適合していたのである。しかし、今はそんな人材はまったくもって力が発揮できない時代である。今はチームの和や管理など二の次、三の次なのである。とにかくお金を持ってこれる人材、分配できる人材しか通用しないのである。今までは、そんな人材は、周りの和を乱すとか、協調性が無いなど、酷評されてきたのである。しかし、乱世の時代はそのような人材でなければ生き残っていけないのである。

人間など、実は実力など、それほどの差なんてないのである。あるのはタイミングだけである。それを人は運というのである。誰しも未来を予測なんて出来ないのである。しかし、すこしでも未来を見据えたいのであれば、時代の変遷と自分の身の周りの人をよく観察すべきである。

世の中の一周が70年くらい。人生とほぼ同じなのである。そのタイミングをいかに見つけるか。それが重要なのである。だいたい一つの時代が12~20年である。その4っつのまったく性格の違う時代が70年くらいで一周するのだ。

デフレからインフレにするには破壊と創造が必要で、それが乱世の時代なのだ。それから急激なインフレがゆっくりと穏やかなインフレになる。そこで乱世から管理者の時代になるのだ。それからインフレが終わり、ゆっくりとしたデフレになる。そこで協調性がある管理者の時代になる。そこからまた急激なデフレの時代へ。世の中は繰り返しである。そのときに、いかに自分をアジャストするか。それが「運」というものなのだ。

デフレなど、経済学者の盆暗どもの言うとおりにはならないのである。

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2010年3月23日 (火)

最近読んだ本 34

不肖・宮嶋 死んでもカメラは離しません 宮嶋茂樹著 祥伝社文庫 ¥562-

これは名著である。素晴らしいの一言である。面白い、実に面白いのである。いろんなスクープを撮った不肖・宮嶋であるが、それをものにするための顛末を書いたものだが、その涙ぐましい努力には「あっぱれ」である。この中で最高に笑えるのが、韓国の暴動を取材しているときに、たまたま食堂でサービスで出てきた「イカ」に食あたりし、それで排泄物を垂れ流しながら取材を敢行したところである。是非とも読んでいただきたい!!お笑いとしても一級品である。

不肖・宮嶋 空爆されたらさようなら。  宮嶋茂樹著  祥伝社文庫 ¥562-

この頃、不肖・宮嶋シリーズに凝っている。この本も名著である。コソボ紛争取材の顛末である。どれだけ世界がいいかげんで酷いのかがよく判る。なんとも戦場カメラマンというのはタフな人種なのだろうか・・・・不肖・宮嶋の文章は非常に読みやすくセンスがある。これも是非是非読んでほしい。オススメである。

不肖・宮嶋 わしは舞い降りた(上)  わしは舞い上がった(下) 宮嶋茂樹著  祥伝社文庫 ¥590-

これはすごい!すごいの一言である。アフガニスタンへの潜入には読んでいても手に汗握るほどのすごさである。よくもこの男、生きて還ってきたものである。下手な小説よrもずっと面白い衝撃のノンフィクションである。上下巻であるが、すごく面白いからあっという間に読んでしまうだろう。新聞では絶対に書かれないことが書いてある。超オススメ!!

メディアが出さないほんとうの話 田中宇 著 PHP研究所 ¥1500-

この人って、文章力があまり無いのか、すごく読みずらい。内容はなかなかいけてるのであるが、どうも学者の文章みたいでいまいちなのだ。ただ、その分析内容はいけている。興味があれば是非とも読んでほしい。

斉藤一人 元気が出る魔法の法則 舛岡はなゑ著 PHP文庫 ¥495-

この著者も文章が下手である・・・・・同じようなことを斉藤一人さんの弟子、小俣さんが書いているが、そのほうがずっと読みやすいし、興味をそそるような文章なので、それから比べるとかなり見劣りする。。。。まあ、今ひとつというところか・・・・

成功する人の一見、運に見える小さな工夫 中谷彰宏著 ゴマ文庫 ¥533-

この人、すごい量の本を書いていて、だいたいが、このようなハウツー本が殆どである。まあ、よくもそれだけ書くというがあるものかという驚きのほうが大きい。この人、着眼点がなかなかなので、「気づき」にはいいかもしれない。自己啓発にはオススメかな。まあ、文庫だから安いし。それに文字があまりにも少ないから、あっという間に読める。

銀座ママが明かす「お金に好かれる人、嫌われる人」 ますい志保著 廣済堂文庫 ¥571-

銀座の双子の美人ママで有名な著者のお金っていうかおじさん論である。まあ、銀座だから来る客はそれなりにドラマを持った人たちだろうから、一般の人にはあまり当てはまらないだろうけど・・・・・それなりに楽しめる。

まあ、今回のオススメはなんといっても。不肖・宮嶋である。是非是非読んでほしい!!

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2010年3月21日 (日)

笑顔はプライスレス

いつも行くピーコック。そこのそこのレジ担当の女性、皆、それぞれに違う。皆、一生懸命である。ピーコックというスーパーは素晴しいと思う。そんな中で、一人、すこし年配のかたがいる。その女性が正社員なのかパートなのかはわからない。でもいつも最高の笑顔で、そうして本当ならしなくていい作業までしてくれる。なんとレジ袋にまで詰めてくれる。それも完ぺきに。それでいて手際が素晴しい。そこまでしていただいても、他の人よりも速いのである。そんな一手間を感じさせないくらいに手早くさっと済ましてしまう。これはすごく賢いのである。友人yuの料理の手早さと同じである。素早くて完ぺき。タイミングをいかに外さないか。これはすごいことなのだ。こういう人をして本当に頭が良いというのである。人間、瞬間、瞬間、一期一会である。どんな状況だって本物は光るのである。

確かに、外観的な差はある。生まれ育ちも差がある。その時代性もある。自分の意思や能力だけではどうしようもないのが現実なのである。でもね・・・いくら美人でも笑顔が無いと駄目なのである。超が付くほどの美人でも笑顔が上手く表現できないとはっきりいってもてない。当たり前である。美人とか美形っていうのは、もって生まれた才能である。しかし、それだけでは上手くいかないのが世の中なのだ。美人だからこそテイクテイクではなくギブをすると光るのである。

そのギブってのは、以外とカンタンだ。笑顔なのである。前にもこのブログで言ったが、いいよとか、あの「セイラ」さんの言葉なのである。「セイラ」さんは男の理想なのである。だからガンダムが30年経っても人気があるのだ。あくまでもアニメの中であるが、「セイラ」さんが、微笑みながら、あなたなら出来るわ!っていったらみんな頑張ってしまうのである。

笑顔は最強のウェポンでもあり、最高に魅力的なツールなのである。実はそれを「才能」というのである。知能とやらがいくら高くても、IQの数値がいくら高くても、笑顔という武器を持たないのは才能が無いのである。笑顔というのはプライスレスであり、それが才能というのである。

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2010年3月20日 (土)

鯨を取るなとかマグロを取るなとかいうけれど・・・

鯨を取るなとか、マグロを取るなとか、アングロ野郎が騒いでいる。牛とか豚とか鳥とか、ばんばん殺して喰ってる連中に言われたくない。豪州の馬鹿ども、お前らカンガルー殺して喰ってるだろう?ワニも喰ってるだろう。そんなお前らが生意気である。お前らは所詮、アングロが一番としか考えられないのである。生物ってのは、他の生命体を喰わないと保つことが出来ないのである。これが原則なのだ。だから捕獲して喰うのだ。

鯨やアザラシはかわいいだとか言うが、鶏はかわいくないのかよ!牛だって豚だって子供のうちはかわいいのだ。でもそれを喰うだろう。アングロの理論なんて所詮、ヤツラの宗教と同じでいい加減なもんである。違う人種をやたらめったら殺しているんだから。我々もたくさん殺されただろう?本当は第二次大戦のようにアングロ同士が殺しあえばよかったのだが、欧州はすこしだけ賢くなったから(英国を除く。あいつらは馬鹿のまま)殺し合いをしないようにEUを作ったんだよ。

結局、人類っていうか生命体の歴史ってのは、エネルギーの確保なのだ。先の大東亜戦争だって、結局はエネルギーを絞られたから歯向かったってことなのだ。今この国がおとなしいのは、エネルギーが確実に確保できるからである。だから亜米利加に従順なのだ。もし仮にエネルギーを切られたらこの国は劇的に違う方向にシフトするだろう。それぐらいにエネルギーというのは需要なのだ。だから今回の黒マグロの件でもいつもは駄目だ駄目だといわれている外交が頑張って成果を上げたのである。死活問題になると俄然、力を発揮するのである。それが人類なのだ。

所詮、食料(他の生命体)もエネルギーも持続という生命の根幹なのだ。だから戦争までして確保するのである。イデオロギーなどオブラートである。生命の維持、それだけが戦争の理由なのだ。今回のイラクだって、所詮はエネルギーの確保と新しい技術開発の為なのだ。イラク人が100万人虐殺されても(悲しいことだが・・・)新しいビジネスとオイルというエネルギー確保のためなのである。

だから、評論家とかいう輩の馬鹿意見をまともに聞いてはいけない。あいつら人間が最高とか思ってるの。あまりにも馬鹿で知能が低い。森田実なんて、説得でなんとかなるとか言いやがる。馬鹿はお前だけでいい。お前、食物喰ってるだろう???肉を喰うくせになにを言ってやがるのかと・・・・・・・所詮、そんなレヴェルなのだ。まあ、百歩譲って必要悪かな(笑)

ただね・・・歴史は繰り返す。閉塞は開放を生み出すのである。戦後65年間、何故、この国に平和が続いたのかというと、答えは簡単である。エネルギーの供給が安定していたからなのである。だから安保であり、米国に従順なのである。安保=エネルギーの確保っていうことなのだよ。原発を沢山作ろうとしてるのは、保険なのだよ。亜米利加の覇権が崩れるとエネルギーが確保できない。だから今、原発を作ろうってなお話なのだよ。北朝鮮の問題だって、あの国にウランがあるから、それでその利権を取り合いしてるのが六ケ国協議なのだよ。

所詮、人類はエネルギーの獲得、所謂、生命の維持が原則ってことなのだ。馬鹿なオツムでいくら考えても駄目なのだよ。シンプルなのである。そのために殺しあうのである。家畜を殺して喰うのと同じなのである。クリスマス、ケンタッキーに行列だ。それでどれだけブロイラーというコケコッコーが殺されるのであろう。しかし、それは美味しいのだ。焼肉ってすごい美味しいだろう。豚のしょうが焼きなんて最高である。生命体を喰うのは美味いのである!!!

だから、原理主義者のぼんくらは適当にあしらって、美味いものやエネルギーを確保しよう。それが賢い生き方である。またアングロに(最近ばれたみたいでバッシングが強い・・)見つかったら、こそこそ逃げて、それで逃げ切れなかったら、今度はちゃんと準備して、跡形も無くやっつければいい。50~100年スパンで考えれば勝てるだろう。65年前、我が国は英国には直接には負けたことがない(諜報戦ではしてやられたが・・)だから数十年後、次は勝てるかも。でも勝たないのが賢い。それが将来、出来ることを望む。

所詮、グローバルなんて、エネルギーの確保っていうことなのだ。エネルギーが欲しいからその資源国に商品を売るってことでしかない。エネルギーを産出してる国はそれでお金を生み出すから確保する必要がない。カンタンな図式である。それを自分のものにしようと武力で分捕るのが戦争であり、条約なのである。日米安保=石油の確保である。カンタンな理屈だ。

本題に戻るが、マグロはツナっていって、亜米利加人達に理解させよう。求めてはいけない。理解させるのだ。おまえら牛殺してるだろう。そういって脅そう。鯨だってそうだ。蛇足だが、日本の居酒屋の「くじら」は殆ど「いるか」である。「いるか」も美味いのだ。っていってもあいつら理解しないだろうな。根本的に理論が違うのだ。

他の国の野郎がいちいち、いちゃもんつけてくんなよ。英吉利や、その囚人の国家の豪州がうるさいのである。だから65年前に戦争したのだよ。

なーんて、欧米にたてつきたいけど、石油なんだよね、エネルギーなんだよね・・・・それを確保してるのが一番強いのだ。マグロも鯨も石油が無いと取れないし・・・船の燃料は石油だからね。まあ、亜米利加人と中国人にマグロをたらふく喰わせてこちらの仲間にしよう。そうやって、マグロと鯨を確保しようではないか!!

さもなくば、零戦をもう一回作ろう!!!

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コンドラチェフの波とはいうが・・・

コンドラチェフの波・・・所謂、120年周期で覇権が移動するというものである。昔は葡萄牙→西班牙→英吉利→亜米利加→中国???てな具合である。だがしかしである。アングロサクソンがモンゴリアンに覇権を渡そうとするであろうか?なかなかそうカンタンにいきそうもないと思う。前にこのブログで人種の覇権は3000年ではないか?と仮定したが、紀元2000年だから、アングロサクソンの時代もあと数百年かもしれないが・・・それでも我々が生きている間は間違いなく、今のままである。人間の寿命は幸か不幸か、そんなに長くはないのである。(あくまで歴史的に見るとであるが・・・)

まあ、それにしても、未来は想像できないように違った世界になるのだろう。昔の人が今の世の中を正確に予測なんてできなかったように今の我々も出来ないのである。

折角生まれて来たんだから、生きてる今を楽しむのが一番である。人間、誰しもそれほど賢くは無い。だからこそ宗教とか占いとかに逃げるのだ。未来を予測するのもいいが、自分がいつ死ぬか?なんて死刑囚だってわからない。所詮、そんなものである。自分の死期が確実に解ってたのは神風特攻隊と今のイラクの自爆テロだけである。それはあまりにも特別なケースなのだ。

世の中、たまたま、なのだ。すべて偶然の産物なのである。あまりに考えすぎると原理主義になる。考えないと馬鹿になる。なんでもそこそこが一番、調度いいのである。

結局、コンドラチェフの波は我々の寿命より長いので、なにも活用できないのだ。

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2010年3月17日 (水)

うちの会社

今日、昔、世話になった人が突然訪れた。その当時、公共事業で喰ってた会社で、自分が勤めてた会社は、その会社からお仕事を戴いていたのである。その人、奥さんの会社の跡取りとして数年前にその会社を辞めたのであるが、なんと今でもその会社を「うちの会社」という。不思議である。まだ勤めているのならば致し方ないが、もうとっくに辞めているのである。それでも「うちの会社」というのは驚きである。自分は勤めていた会社を「うちの会社」とは基本的に言わなかった。自分の興した会社でもないのだから、この会社とかと言って、よく経営者に睨まれたものである。自分で興した会社でさへ「うちの会社」なんて絶対に言わない。会社なんて自分個人のものではないのである。社会のものなのだ。だから「うちの会社」という人や、ましてやもう退職しているのに「うちの会社」という人の感覚が判らないし、判ろうともしない。会社なんて所詮、お金儲けの手段でしかないのだ。だからみんなが集まって仕事をするのである。それが会社という組織なのである。会社なんて金が集まるから価値があるのだ。そうじゃなければなんの価値も無い。社会性が・・とかいってもそれは後付の言い訳である。社会性云々というのはそれも営業ツールでしかないのである。お金が集まるから人も集まるのだ。

昔はその会社という看板がステータスの証でもあったから、それを身に纏うことにより、なんかえらくなったような感じになる。先の人はそれが抜けないのである。この頃は誰でも高学歴になってきて、特別というメッキが薄くなってきてしまった。昔は大会社に入るには高学歴でなくては実現できなかった。だから大会社の社員はすごい人だと誰もが見てくれた。でもそんな社員がいくらいようが儲けられない会社はまったく意味がない。みんな情報が得られる時代だから、不祥事やリストラなど、以外に大会社もぜんぜん大したことないのがばれてしまった。だから会社の看板だけでは誰も偉く見てくれなくなってきたのである。ましてやネットの発達で誰でも即座に必要な情報を手に入れることが出来る時代である。今や知識の多寡などはまるで意味が無いのである。数年前は設計者は先生をか言われて、とても大切に扱われたのだが、今ではただの職務、所謂、カテゴリーの一部でしかないことが普通になった。正常な時代になったのである。だからこそ、その職務がちゃんとできないと今の時代では通用しないのだ。もうメッキは使えないのである。

会社なんて所詮、誰にとっても、金を手に入れるためのツールでしかないのである。「うち」も「そと」も無いのである。会社はお金を稼ぐための組織であるから、その時代、時代にそぐわないと潰れるのである。大体、文句が多くなってきたり、儲からなくなってきたりすると、その会社は寿命が近いということである。昔のやり方がその時代にそぐわなくなってきたのである。時の為政者だって、時代によって変わるのである。ましてや会社なんてずっと同じことで稼ぎ続けることは不可能なのである。会社の平均寿命は基本的に平均人間の寿命よりも短いのである。

所詮、そんなものなのである。「うちの会社」なんていうから過度に会社に期待してしまうから文句が多くなるのである。「会社」は生きていくためのツールであり手段でしかないのだ。あんまり過度に仕事をしても駄目なのである。

会社というものは・・・社会的認知と定款という紙切れ。それと後は利用価値と合法的に税金をとられる。それだけでしかない。会社は社会のものなのである。それを利用するみんなのものなのである。それが本当の意味の会社という存在の社会性なのだ。だから価値があるのだ。

まあ、その先の人が勤めていた「うちの会社」はもう吸収合併されて他の会社になってしまっているとさ。でんぐらでんぐら。

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2010年3月16日 (火)

トラブルを消す

人間を長くやってると、必ずトラブルに遭遇する。会社は普通、3~4年で一つの転機を迎えるものだ。まあ、大体、3年持ったというのが奇跡なのだ。年間、何万社という会社が生まれ、三ヶ月で80%が無くなり、1年後には3%くらいしか残らない。3年持つなんて奇跡なのである。それぐらいに世の中は実は厳しいのである。糧を得るというのは実はとても大変で難しいことなのだ。

会社ってのは、起業してから3年から4年後くらいに一つの転機を迎える。樹木でいえば年輪のような節を迎える。それを乗り越えないと次にはいけないのである。自分が管理している事務所もそれを迎えた・・・・・そう、トラブル続出なのである。ただ、あまりにも所帯が小さいからそのトラブルもかわいいものである。でもそのトラブルの種とは経営者とか管理者の運気なのである。自分は経営者っていうよりも管理者なので、トラブルも小さい部類であるが、それでも確実に降りかかるのである。事務所の管理を始めて4年目、トラブルが事務所を襲う・・・今まで上手くいってきた手法がまったく正反対になる・・・だから余計に時間と費用を費やしてしまう・・・・でもそれは致しがないことなのだ。

世の中、いや、生きてるってことは波なのだ。浮き沈みが誰にでもあるのだ。その波の高さが人により違うだけである。高い波のまま生き延びることは出来ない。寿命が短いならそれは可能であろうが、まともな寿命では必ず底があるのである。

トルシエが1998年に日本の監督になったのがピーク。それで12年後、今度はコートジボワールの監督になりそうである!やったねトルシエ!12年周期でまた君の時代だ!

お話は逸れたが、ここ最近、トラブル続出なのである。いつも高圧な「くちプロレスラー」を自認する自分であるが、最近の現場で跡形も無く3カウントフォールされた。いじめっ子の自分が負けた・・・・・久しぶりの敗北であーる。余震は続く・・・・看板屋といままでいろいろ調整してきて、確実に上手くところまで到達したのだが・・・・・その看板屋、基本的な納期の確認を怠った・・・・それが設計に逆戻り・・・・・一から建て直しである・・・・

トラブルを消していくと余震はだんだん小さくなる。東北のホテルに泊まったのだが、そのとき、いつもは持っていく歯ブラシをもって行かなかった。そうしたらば、それも運か・・・アメニティの歯ブラシがなんと使い古しであった・・・・歯ブラシの袋に入っていたから、掃除のおばちゃん、気が付かなかったのであろう・・・・・・・歯を磨きたい!!!しかし、使い古し・・・・・・怒りがこみ上げてくる!!!しかしである。そこは冷静に・・・・・・・そこで怒るとまた同じことが起こるのである。その時々でトラブルを切らなくてはいけないのである。フロントを呼ぶではなく、そに使い古しの歯ブラシを石鹸で丹念に洗う・・・・・悲しいがそこでトラブルを消さなくてはいねないのである・・・・それで丹念に歯を磨いた。

しかし!トラブルはまた襲ってくる。余震はなかなか収まらない。

朝飯をへんな時間の摂った。へんな時間にランチである。そこで博多らーめんを食べた・・・・いや食べた途中だ・・・・そこに外人の店員のねーちゃんが誤ってプラスティックのグラスを我らーめんどんぶりの中に落とした・・・・・・60%くらい食したあとだった・・・・・水で駄目になるらーめん・・・・・・・・全ての店員が外人であーる・・・・文句言っても通じない・・・博多らーめんは水に弱い・・・・・・・・・外人ねーちゃん、代わりをもってきますというが・・・・・・そんなに喰えねえよ・・・・・・それでもお金払ってそそくさ席を立つ。そこでごねてはいけないのである。ごねるとまた同じシチュエーションに遭遇するのである。だからそこはきれいさっぱり離れるべきなのである。トラブルは出来れば未然に・・・・起こってしまったことは最低限に綺麗さっぱり消さなくてはいけないのである。

でも、世の中面白いものである。トラブルも無いなんてまったく面白くもないではないか。マイナスは実はあとから思い出になるのである。プラスだけでは無味乾燥なのだ。マイナスをポジティブに感じれる。それが楽しいのである。それを「ぽじぶら」所謂、ポジティブ思考のブラジル人。パプアニューギニアの人の思考である。人生は実は楽しいのである。「ぽじぶら」というのは他の宗教よりも楽しいのである。ちなみに「ぽじぶら」は宗教ではない。哲学でもない。生命力=ぽじぶら なのである。

トラブルがあるから面白いのである。それが無いなんてなにも面白くないだろう。上手くいった記憶は残らない。しかし、トラブルは教訓にもなり、思い出にもなるのだ。

トラブルを消しながら受け入れる。それが楽しいではないか!!!

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2010年3月15日 (月)

久しぶりの五輪鮨だが・・・・

今日、あかり職人が久しぶりにお越しになり、いつものように事務所でビール。それから五反田の五輪鮨に向かった。五輪鮨は昨年、美人と大魔人といったきりである。久々である。前回は激混みで入るのも容易ではなかったのだが、何故か今回はガラガラであった。なんと五輪まで不況の嵐に巻き込まれているのか???例の浅黒い職人さんは姿が無い・・・・・違う浅黒い人が流暢な日本語で注文を取っている。この人は前にはいなかったはずだが・・・・・モンゴルかタイ系の女性はまだ健在であった。日本国もかなり深刻な不況なのだ・・・・・・安くてネタがでかい!リーズナブルな五輪鮨まで暇とは・・・・日本経済はかなりヤバイ!!

今回は中年のおっさん二人である。前回は美人がいたので、その美貌のおかげで「うに」など超大盛りだったが、おっさんはボディも黄昏ているから極力プリン体は摂らないようにしないと・・・それにおっさんでは大盛りもないのである。それにおっさんは食も細い・・・・

3時間くらい滞在したのだが、いっこうに暇でカウンターには誰も居ない・・・・・・・(だから今回は撮影もなしである・・・)

しかし、相変わらず、サーモンやエンガワは超でかい!!!今回のエンガワはかなりのプリプリ!美味い!!鯖とアジは今回今ひとつであった・・・しかし!!前回の美人が好きだった鰯、残念ながら無かったのだが、今回は無事ゲット!!!さすが五輪である。鰯もでかいのだ。美味い。!!

いつもは大混雑で入れない五輪鮨。今、チャンスである!!!みんな行くべし!!!

是非是非、サーモンやエンガワを堪能してほしい。

*上の8階、居酒屋かあさんは相変わらず、営業活動が盛んである。必ず、エレベーター前で勧誘を受ける。さすが愛すべきおかん達である。えらい!!!秋葉原のメイドおねーちゃん達も頑張って営業活動をしている。数年後は立派なおかんになっているだろう。日本の女性は素晴しい。

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2010年3月 9日 (火)

金看板と下請けの憂鬱

ここ最近の時代の変化は驚愕である。斜陽といわれる建築業界にいるせいか、その変化はひしひしと感じる。神田昌典氏が、BBO(お金持ちのボヘミアン)が75年前に隆盛し、そのご数年で消え去ったということを、「仕事のヒント」で語っていたが、まさにそのとおりになっている。あの銀座まるかんの社長、斉藤一人氏も言葉やアプローチは違うが、だいたい同じようなことを予言されていた。10年くらい前までは、スーパーゼネコンは文字通りスーパーで、絶対的な力を持っていた。しかしである。今、そんな力を持っているゼネコンは無い。ましてや設計やデザイナーだって同じである。昔ほどのアドバンテージっていうか、力はないのである。日本はかつて高度経済成長の時代であったから、そこにはインフラや建物の需要があった。建築や製造業はインフレだったのである。インフレは供給するものが非常に大切にされる。だから大きい顔をすることができていたのである。しかし、現在は中国など発展途上国の台頭、ましてや建築物はこの狭い国では行き渡ってしまった。今までのように無理に税金をばら撒いて建物を建てようとしても莫大な借金でそれももうできない。銀行はたくさん抵当権で取り上げた土地を持っているが、市場に流すと価値が暴落するので手放すことができない。ゼネコンも同じである。土建国家の終焉である。大体が銀行自体が儲ける手段が狭められている。いまでは企業に貸して利ざやを取るのが本業なのだが、国に貸して利ざやをとっている。そんな状態では早晩、破綻するのは眼に見えている。

産業構造の大転換である。今までの金看板は意味が無くなる。その看板の下請け業者も意味が無くなる。全てに対し、ダウンサイジングや変化が必要なのである。CDがレコードを駆逐したように、ipodがCDやCDレンタルを駆逐した。ipadは書籍を駆逐するだろう。ipadはipodよりも革命の力が大きい。いままで我が物顔だった出版社はもう殆どの社員を必要とはしなくなるだろう。

これからは今までのような価値観では生き残れないのである。単純労働が無くなってきたように仕事が多様化してきている。個人の仕事もその多様化に対応しないと益々お金がもらえなくなっていくのである。もう、これだけしか出来ませんってのは通用しない。一つの仕事を突き詰めるのでは無く、ハイブリッドな特性が要求される。これからは転職をして多用なスキルを持つことが重要になってくるであろう。車だけでなく人間もハイブリッドになっていくのである。戦後のドタバタのように、皆が商売感覚が必要な時代なのである。

見ようによっては最高に面白い時代であろう。楽しもうではないか!

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Sam's襲撃その後

Sam's襲撃は、あれだけ美人を集めたのに失敗に終わり、ただ単に、ゲイ?のマスターを喜ばせただけであった・・・・・と報告したのだが・・・・実はその後があったのだ。

そもそも今回の襲撃計画は、友人「ぷ」がマスターに気に入られて(過去に3回くらいしか店にいったことがないのにである!!!)所属事務所に店に来いという勧誘の電話への反逆であったのだ。先の通り、結果は惨敗である・・・・・・しかしである。これを年季というのか人間力というのか・・・・友人「ぷ」はなんとマスターにバリ島へ遊びに行こうと勧誘を受けたとのことだ。これを「やぶへび」といもいうのである。逆効果ともいうのである。

「ぷ」は私のことをゲイだと昔、会ったばかりのころは、でっかい勘違いをしていたのだが、これで結論が出たであろう。どちらがゲイっぽいか!!!マスターは私にはまったくもって興味はないのである。南の島に誘われるなんて・・・そりゃ、筋金入りである。♂は♂であるほど気が弱く、危機回避の能力を高めているのだ。ゲイはそこを超越してるのだよ。硬派の♂はゲイには寛容にはなれないものだ。それぐらいに違うのだ。商売は別である。商売は考えや人格なんてなにもいらない。単に金だけなのだから。いくら相手がゲイでも商売を展開するのである。商人にイデオロギーや全体主義などはただの念仏である。

なんでゲイって南国の島や海が好きなんだろう??ある知り合いから、かなり有名な女形のビデオをもらったことがある。そこは男ばかりしか出てこないんだよね・・・・・まるっきりその方面の世界なんだろう・・・・

まあ、話は逸れたが、今回のミッションは最低の失敗である。作戦があまりにも甘い。マスターを陥れるつもりが逆にやられた。でも、そんなレヴェルの戦いはどうでもよい。今回、あの店に美形が集まったのだよ。それが今回のミッションの結果である。それはよかったなあ!

でも、話は逸れるが、人々が集まると生まれ育ちがわかるものだ。基本的に長男長女は末っ子と合うのだ。中間子は一人っ子と合う。結局は組み合わせである。

まあ、今回のミッションは敗北である。次回、勝たねば!

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2010年3月 7日 (日)

食することの喜び

友人「H」と「I嬢」とジンギスカンに行った。北海道出身の自分に「I嬢」の計らいである。その店は渋谷にあるのだが、一時のブームで一杯乱立したジンギスカン屋とはすこしは違う。美味しい。でも肉の厚みやタレが本場とは違う・・・・それは仕方が無い。生ジンギスカンを食べれるだけそれはそれは貴重なことなのである。その店をチョイスした「I嬢」さすがである。伊達に美人で才女だけではないのである。ちょっと・・・いやかなり場所がかなりマニアックで迷った・・・・自然児の友人「H」も迷ったくらいだから、場所はマニアックなのは間違いない!

この前、友人「H」と、自分が管理する事務所で飲んで魂を抜かれたのだが、今回はいつも時間厳守な「H」が遅れてきた。現場の打ち合わせが長引いたらしい。「H」はエンジニアである。デザイナーの友人みたく時間がブラジルではない。日本時間なのである。しかし、なんでデザイナーという人種は時間がブラジルなんであろうか。あまりにもいい加減である。よい加減ではない。時間=プロミスなんて彼らには通用しない。時間に超ルーズである・・・・・そういう彼らを「ぶらじる」と呼ぶ。

それにしてもひさしぶりのジンギスカンは美味い。この前、どうしても食べたくなって、ピーコックで冷凍のジンギスカンをフライパンで焼いた。これがなかなかいける。

あと残り、何年もないのである。食もなにも全て楽しもうではないか!!!

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2010年3月 6日 (土)

Sam's襲撃計画

バーを経営しているゲイっぽいマスターが、友人「ぷ」の事務所に飲みに来いという勧誘の電話をかけてくるため、業を煮やした「ぷ」が、店を美人でジャック!するという無謀な計画を立てた。美人だけではマスターがあまりにも可哀想なので、イケメンもある程度用意することにしたらしい・・・・それでこちらにも美人を集めるようにとの指示が来た・・・なのでこちらは美人設計コンサルチームに参上いただくよう御願いをした。

当日、雨が降る寒い夜であったが、「ぷ」の部下のパクヲがコートも羽織らずに立って皆様のお越しを待っていた。健気な男である。

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それでは風邪を引いてしまうと思い(将来の双子のパパである)店に入るよう声をかけ、まだ集まっていないが宴(襲撃作戦)を始めることとした。

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この襲撃計画の立案者である「ぷ」がなかなか来ない。なんでも九州まで出張で飛行機が大幅に遅れたらしい・・・・・なんと襲撃の前日に出張を入れてしまうとは・・・・無謀である・・・・適当に飲んでいたら「ぷ」や、来賓が到着した。早速、お決まりの名刺交換である。大人の会合はいつもこれがないと始まらないのである。

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襲撃なのに、マスターは喜んで甲斐甲斐しく対応している。「何人来るのかな?」と売上を計算してニヤニヤ喜んでいる。これでは襲撃にならんだろうに・・・ただマスターを喜ばしているだけである・・・・・襲撃計画は失敗である。

そうしたらこの前のパーティーで♂どもに大人気であった魔女が登場した。

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襲撃は失敗であったが、我が美人設計コンサルチームは喜んでくれたようだ。

けっこう高額な参加費用をお支払いさせてごめんなさい・・・・今度埋め合わせします。

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でも是非ともまた襲撃しましょう!(今度は店を満杯にしてパニックに陥れましょう)

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2010年3月 4日 (木)

Skypeのカメラを導入

今日、お隣の国からスカイプの電話連絡!しかし、こちらはカメラもマイクも無いのである。一方通行で、まったくお話にならない。それで、急遽、オーディオ用のマイクを接続し、なんとかスカイプによる打合せが出来た。

その後、すぐに近くのビックカメラでマイク内蔵のwebカメラを導入した。さすが日本人、外圧には弱い・・・・・・

技術屋なのですこぶるハードウエアには強いのだが、おっさんなのでめっぽう、ソフトウエアには弱い・・・・カメラの種類は非常に多いのだが、ソフトウエアの設定が必要ないようなカメラを吟味して選ぶ・・・・・・・あった、あった。「瞬間接続」のうたい文句!!!これである!これならばおっさんでも大丈夫かもしれぬ・・・

早速、取り付けてみた。

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おおーさすが「瞬間接続」である。なーんにも設定なんか必要ござんせん。おっさん御用達のカメラである。素晴らしい。

これで我が事務所もグローバル対応である。(てっな訳ないか・・)

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2010年3月 3日 (水)

写メールが出来ない・・・・

今日、現場から、施工で壁が変更になり、施工したボックスが干渉するので、そうしたらいいでしょうか?とのメールが図面が添付されて送られてきたのだが、それをジャッジする担当者が出張でメールが確認できない状況である。幸い、担当者は友人「ぷ」なので、すぐさま電話したのだが、jpegに変換して携帯に送れという・・・・・・・えっ!どうやって、どこへ?・・・・・「ぷ」曰く、「いつも送ってんじゃん!そこに送って!」とのこと・・・・・・わかったと言って電話を切って、しばし考える・・・・・・携帯電話でどうやって写真を撮ればいいのか・・・・そもそも携帯で写真を撮ったことさへないのである。ましてやメールで送るなど・・・・・・・・携帯電話の取扱説明書をみて、どこにカメラのボタンがあるのかわからない・・・・・・・

面倒なので、スキャナーでスキャンしてフォトショップで加工してパソコンのメールで送ったら無事に到着したようだ。

携帯電話を使ってもうかれこれ14年くらいであるが、使い方は昔と殆ど変わらない。メールくらいは出来る。絵文字も打てるのだが・・・・写メールはできない・・・・・田舎のおかんと同じレヴェルである・・・・・・殆どの機能を使っていない・・・・・・いや使えない・・・・・・

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